やっと日常が戻ってきた。いや、まだかな?観客がいないもんね。
でも、
打球音が大きく響き、投球をキャッチする捕手の
ミットの音がバシッ!と鳴る。待ちに待ったプロ野球が開幕しました。始球式や応援は無いけどテレビにかじりついて観たファンは多かったことでしょう。あの病気は怖いですから仲間との観戦やパブリックビューイングも無理。一人でコーヒー飲みながら試合を観ておりました。
結果は
2-3と逆転勝利。ヒーローは逆転の2ランの
吉川尚輝二塁手+粘投した
菅野投手かな?ポイントは幾つかあります。まずは、菅野投手、相手投手の
西勇紀君に打たれすぎ(笑)。先制本塁打にに勝ち越しのタイムリー二塁打。完璧に打たれておりました。
そして勝因は二つ。
攻守にわたって采配の妙、でした。
①
吉川選手に強硬策
7回裏、阪神のマウンドには二番手の左腕岩崎投手。ここで、代打攻勢をかける。先ずは
右の石川選手。これが
安打で出塁すると、菅野の代打に
右の湯浅。バントで送って打席には
左の吉川をそのまま送る(村長は、
陽岱鋼か
炭谷かな?とも思いました)。これが大当たり、内角速球を技ありの打法でスタンドまで持っていきました。
② 9回表、無死一塁で
4番ボーアを迎えたシーン。
左の強打者に対し、三遊間を大きく開けて遊撃坂本は二塁ベースの真後ろに。この
シフトが大当たり。ボーアの打球は痛烈な三遊間へのグラウンダー。一人三遊間を守っていた
岡本三塁手は二塁送球。
坂本ー一塁
中島に転送されて、
5-6-3という併殺に。この、珍しいパターンには興奮して、
「やったー!5-6-3!」と絶叫。変な顔で見た妻に、何が凄いか説明するが、画面では明らかに
大物を狙ったスイングをする福留選手が目に入って、自分でも何を話しているのか分からない。デラロサ投手のスライダーが決まって開幕戦をものにした後、改めて詳しく解説すると、「ふーん」だって。
「通」じゃあねーな。
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誰にでも、忘れられない、記憶の中で生き続けている試合、瞼の奥に焼き付いているシーンがあると思います。村長が思い出すのは、2010年4月24日の東京ドームで行われたvs広島戦だ。
この試合は、その22日前の4月2日マツダスタジアムでの広島戦の試合前のノック中に倒れ(くも膜下出血)、5日後に亡くなった木村拓哉コーチの追悼試合として行われた。3-2と、広島が1点をリードして迎えた8回裏、一死満塁という好機に巨人は代打に木村氏の同期、谷佳知選手を送る。試合前に、「まだ信じられない。信じたくない」と述べていたそうですが、1ストライク2ボールからの4球目を振り抜いた打球は谷選手にとりプロ初となる代打逆転満塁本塁打。試合後お立ち台では涙を見せておりましたね。
巨人移籍後は家族を広島に残しての単身赴任だったそうです。リンクは貼りませんが、倒れる瞬間のビデオを今日見つけてしまいました。衝撃的でした。5日後にあの世へ旅立ってしまったのですが、37歳、若すぎますね。また、ビデオでは当時10歳だった彼の長男のその後も伝えておりました。父の後を追い、中学校までは順調だったそうですが、高校の時、右膝を負傷、結局プロへの道は断念したそうです。
ユーティリティープレーヤーだった木村選手で、思い出すのは2009年に起きた「捕手・キムタク」でしょう。記憶に残る選手でしたね。けっしてスターとは言えない存在でしたが、アテネ五輪のときは、ブルペン捕手も引き受けたり、いわゆる「プロ好み」の選手だったと思います。
二度のインフルエンザにかかって、調整が野球人生で最悪、と言っている巨人軍キャプテンの坂本勇人選手。今一番の話題は、榎本喜八選手が持つ、最年少での2000本安打記録の更新だ。例年通りだと7月末での達成は可能だという(かなり確立が高い)。ところが、例の武漢肺炎の影響により、開幕、試合日程などの不確実要素がその記録に大きな壁となっている。
しかし、高卒で左打者が有利な最年少2000本安打達成よりも、右打者として通算安打記録に期待する。大先輩の長嶋茂雄氏の2,471本、鉄人衣笠祥雄氏の2.543本は多分追い越せると思う。が、その上には、先日亡くなられた野村克也氏がいる。2,901本だ。この本数を超える、ということはあの世界のホームラン王・王貞治氏(2,786本)をも超えるということになる。村長は、それを期待しています。
本人は、そんな記録より「キャプテンとして日本一」が目標のようだが・・・