草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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サッカーの
三浦一良氏の名言の一つに、
「人の所為にしない」というのがある。
先日
三内丸山近辺に行ったとき、青森県立美術館で
「化け物展」が開催されていた。展示最終日ということで駐車場には結構な
車の数が見受けられた。国会前デモに例えるなら約3,000台、実際には50,60台。
父が存命だったころは度々訪れた美術館も、ここ4年間入館したことはない。妻に「たまに入ってみる?」と聞くも、
「化け物に興味なんてない」とのことで、素通り。
なんで「化け物展」からキングカズの言葉が連想されたかと言うと、我々の先祖は何か災いごとが起きた際、
人の所為にするのではなく化け物という架空の
物の怪に責任を押し付けてきた。水難事故で子供を亡くすと
「河童」の所為に、就寝中に寝違えると
「枕返し」に。また、生活の知恵から生まれた化け物には
「豆腐小僧」なんていうのもいる。買ったばかりの豆腐をペロリと舐めて逃げる妖怪で、そいつに舐められた豆腐は早く食べないと腐ってしまうのだ。まさに
豆腐は足が早いという教訓を豆腐小僧が教えている。
「ろくろっ首」もなるほどと思える妖怪で、亭主の浮気を監視するために首が伸びていく
女房の願望が生み出したという。
「ぬりかべ」という通行人の行く手を妨害する妖怪も、もしかしたらこの
道の行く手には落石や道路陥没などの
事故が待っているよ、と教えている
親切な妖怪なのかも?
そんなことを
勝手に想像しながら美術館を通り過ぎる村長でした。
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あまり聞きなれない「線状降水帯」の影響で関東、東北は大雨に見舞われた。河川では鬼怒川が決壊し多くの犠牲者や行方不明者を出す大惨事に。気象専門家によると、台風17号と18号の影響で鬼怒川上空に雨雲が細長く停滞したために起きたそうである。
記事では兼ねてから危険が指摘されていた地域だが、例の民主党政権による事業仕分けで予算が削られた、と
中央大の教授が言ってます。しかし、今は
自公政権。当然見直すなり、引き継ぐなりの措置を講じていなければ
現政権の責任になる。
それよりも問題なのは、鬼怒川流域の
常総市若宮戸地区の住民からの、水害は
太陽光発電業者による
堤防掘削が原因ではないかという指摘だ。もちろんその掘削が無くても
越水は起きたであろうが、その弱い場所から泥水が
勢いよく住宅街に流れ込んだとの見方は正しいだろう。
また仙台市では市道沿いに設置されたソーラーパネルが
土砂崩れにより、市道を通行不能にした。そして、背筋が凍るような話も。
太陽光発電協会は11日、水害時の太陽光パネルには近づかないよう注意を促した。感電の恐れがあるためだ。感電もだが、
ヒ素や鉛の流出は大洪水の際には防ぎようが無い。
それでなくても太陽光パネルは
猛毒を含む産業廃棄物と言われており、今回の災害で水に弱いことを露呈してしまった。原子力同様、
太陽光発電規制委員会を設置する必要がある。まさか、自然を破壊するから自然エネルギー??
川崎市の老人介護施設で相次いだ高齢者の転落死。2か月間で3名の転落死は非常に不自然な印象を受けた。歩行困難な高齢者が一人で1.2mのベランダ手摺りを超えられるか?という疑問が第一に挙げられている。
こう見えて、村長は「金属バルコニー取付技能士」という国家資格を持っている。持っているだけではない、実際に住宅、ビルの手すりの設計・取付に従事していた。何?ベランダとバルコニーは違う?って。その通り、建物の一部として外に設置する(屋根がある)のがベランダ、建物から独立して張り出して設置されるのがバルコニー。でも手摺り本体はほぼ同じ。
ニュースによると今回の場合、高さ1.2mのパネル型の手摺りが設置されていた。建築基準法では1.1m以上なので、設置基準は満たしていると思われる。もしかしたら10cmくらいの足掛けがあったのかもしれない。
さて、今回転落した高齢者の女性二人は身長が140cm位だという。歩行困難な高齢者でなくとも140cmの女性が1.2mの手摺りを超えるのはかなり難しい。これを一般の男性で想像すると分かりやすい。身長が168cmの人を先ほどの手摺りの高さにあてはめると、1.44mという結果が得られる。強い意志で超えるなら可能だが、普通に生活している分にはこの高さを越えるのは至難の業だ。
施設の運営会社は、「二度とこのような事故が起きないよう、再発防止に取り組んでいく」と話しているが、警察は事件、事故の両面で捜査中だ。もしも事故ならば、建築基準法改正まで行かないと再発防止にはならないだろう。
すったもんだの末、五輪組織委は一旦決定した佐野氏のデザインを撤回し一般公募し直すと発表した。なにっ!次点が繰り上げ当選にはならないんだ!と、素人的には思ってしまうのですが。「二位ではダメ」なんですね。再度時間とカネをかけて審査するんですね。なんと暇と金が有り余っている組織なんでしょう?
絵心が無い村長としましては、最初にあのデザインを見たとき「なんだこりゃ」と感じました。1964年のときには「戦争から奇跡的な速さで復興した日本」をアピールすべく、日の丸が大きく描かれていました。今回のものは東京(TOKYO)の「T」を大きく、日の丸はドット程度の大きさでした。さすがに原案では似ている意匠が多すぎたのか、二回も手直しを佐野氏に申し入れたと聞く。なんだそりゃ!原案が一位になったのでしょう?手直しをしたのならば、再審査(一般公開)しなければ応募して落選したデザイナーたちは納得しませんよね。
だから、佐野氏ありきの審査、などと言われるんです。原案がなんらかの事情で不都合があったなら、そのデザインはナシです。村長がデザイナーだったら、「ふざけんな!」です。必死で考えたデザインにケチをつけられたんですから。佐野氏も「盗作ではないオリジナルだ」と言うのなら、原案で押し切るべきでしたね。ベルギーの劇場から提訴されようが。
ただ、オリンピックという一国だけの問題ではないので今回は再募集にしたのでしょう。もし、裁判が長引き泥沼化したり、敗訴した場合の東京(日本)のダメージを考えると当然の決断と言えるでしょう。遅きに失したという感じは否めませんが。
「来た、見た、勝った」は、シーザーの言葉でしたが、「来た、見た、取った」とは?
8月25日の夜。中国の鉱石採掘場近くで、作業員がトラックから鉱石を積み替える際大量に路上にこぼして去ってしまった。翌朝、朝日を浴びて路上に光る粒状物が発見されると近所の人が群れてきた。ソレは朝日を浴びピカピカと光っていた。「砂金かも?」という噂は瞬く間に広がり、大勢の老若男女が交差点に集まってきた。小さな粒を拾い持っていた紙などに挟み込む。近所の家から箒と塵取りを借りてくる人も。
警官の、「それは砂金ではありません」という声にも、立ち退かせようとウソを言っているのだ。と一向に作業をやめなかったという。中には、昼食のために一旦現場を去り、再び参加するものも。結局午後2時ころまで騒動は続いた。
さて、その粒状鉱物の正体は?1kg集めても数円程度の黄鉄鉱の破片だった。この黄鉄鉱、見た目は金に近いことから、「愚か者の金」と呼ばれているそうである。
中国では以前にも、横転したトラックから落ちた牛乳パックにも人々が群がり、持ち去る事件。生きたニワトリを1000羽プレゼントするというイベントでは、並ぶこともせず我先にと奪い合い。川で魚が大量死、という報道に「食べられる」と人々が殺到。運搬車の荷台からこぼれ落ちた「カニ」の場合には、わずか数分間で無くなったそうである。まさに「来た、見た、取った」状態!中国、恐るべし?