草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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公用車での別荘通いや正月の二日、三日に家族旅行と、お騒がせな舛添東京都知事ですが、まだまだ疑惑の火種は尽きないようです。今度は公務中にヤフオクで美術品を買いあさっていたとか。その数214点。
さて野次馬根性で考えて、これらの美術品はいったい誰の所有になるんでしょう?舛添氏?東京都?日本国?研究費の名目で落札購入しているので東京都のもの、と村長は思うのですが・・・
都知事引退後は舛添氏個人の物なんてことにでもなった日にゃあ、遥か離れた青森県民も黙っちゃあいないよ。恐らく落札できなかった人も、「冗談じゃあない、公共の物だろう。」と、お怒りのことと思います。本当の美術品愛好家にとってみたら、「他人のカネ(都民の税金)だと思って無茶苦茶な入札しやがって!」と言いたくもなるでしょう。
誰の所有になるか?っていうことも気になりますが、それ以前に今現在それらの美術品はどこに展示されているのでしょう?都庁内?都知事公邸?それとも舛添私物展示場??
公金で購買したものだから一般の人も鑑賞できるんでしょうね。ああ、都民だけ?PR
青森に引っ越してすぐだから、もう三十数年前になる。亡くなった母が作ってくれた「卵味噌」という料理を妻に伝授してもらったことがある。以来、月に一度か二度この料理に出会っている。我が家の「卵味噌」は、いたってシンプルで卵と鰹節と味噌に少量の砂糖しか入れない。
最近、この「卵味噌」という料理が太宰治の好物だったと知った。ネットで検索すると、正式名称は「卵味噌の貝焼き」と言ってホタテの貝殻の上で調理しネギやふきのとうなどを入れる。津軽では「貝焼き」を「カヤキ」と呼んでいる。今日遊びに来た次女が「夕飯を作ってあげる、何がいい?」ときくので、「卵味噌」というと「何ソレ!」。
この「卵味噌のカヤキ」、様々なパターンがあるので是非お試しあれ!
福岡県の親戚(妻の姉夫婦など)とやっと連絡がついた。ニュースで得た情報では大きな被害は出ていないと思われたが、一週間も電話が通じないと不安だった。姉の娘さんたちにも連絡し(留守電を残しておいた)、岡谷の兄も心配して避難所などの電話も探そうとしていた昨夜。姉の次女から電話が。
それによると、老夫婦だけでは心配なので次女のところに避難していたのだそうだ。同じ福岡県でも震源から遠いのと、なによりも頼りになる人が多いのが心強いそうである。妻も一安心といったところだ。ここ数日は姉夫婦の安否が気になって睡眠不足気味だっただけに、これで大丈夫かと思ったら。安心したせいか「今夜も眠れそうにない」だって。
十数分の長電話ののち、「おじちゃんにもよろしくね」と次女(村長の姪)。妻が「おじちゃんを覚えているの?」と尋ねると、「忘れた」だと。そうか!もう二十年以上も会ってないもんな!
先日起きた28年熊本地震に際し、被害を受けた方、亡くなられた方々に心よりの哀悼申し上げます。雨風の中懸命の捜索活動が続けられています。一刻も早い発見に繋がることを祈りましょう。
さて、プロ野球は開幕ダッシュに成功した巨人でしたが、主力の坂本、ジャレットがプチ離脱、主力投手のコマ不足の影響などで首位の座を広島に奪われた。そんな中での地元東京ドームでの二連戦。二戦とも一点差で制し首位に返り咲いた。昨日のデイゲームは1-1で迎えた8回裏、5番クルーズが左前打で出ると代走鈴木がすかさず二盗で無死二塁。亀井も外角球を引っ張って二塁ゴロ、一死三塁に。ここで今季好調の村田が好投福井の初球を中前に運んだ。これが決勝打となった。
お立ち台に登った村田。しかし、いつもの笑顔は見られなかった。福岡出身の彼には熊本にも親戚、友人が多いという。未だに止まぬ余震。行方不明者の捜索が続く中で、地元を案ずる気持ちが彼の胸にあったのだろう。19日に予定されていた熊本での開催を彼も心待ちにしていたと思う。開催を模索した球団も現時点では無理と判断し中止を決定した。(20日の鹿児島大会も)
災害が起こると音曲や娯楽を自粛するような風潮がある。もちろん災害が進行形の間は当然だろうが、ひと段落しても自粛するのはどうかと思う。例えば、イタリアでプレーしているサッカーの本田選手が言った「自分たちはプレーでしか応援できない。安易な自粛ムードは間違いだ」という意見に同意する。まあ、ある意味日本的と言えますが・・・
余談ですが、妻の親戚が熊本に住んでいる、という記憶があったために聞いたところ「福岡県にある熊本だよ」とのことでした。北九州市小倉北区熊本に住む義理の姉だそうです。
そうか!今年は御柱の年なんだ。あれから7年が経ったんだ。
父に頼まれて祭りの録画をしてあげた最後の祭りから7年たったんだ。「お祭り」には殆ど関心が無かった父が「今日放送する御柱の特番を見たい」と言ったので、珍しいこともあるもんだ、とBS3で放送した特集番組を録画し妻と3人で見た。薄れかけた記憶を遡ってみても、父と一緒に御柱祭を見に行ったのは一回だけ。東京、徳島の友人を案内して諏訪大社上社に出かけた。友人たちは柱を立てる儀式に感激していたが、村長と父はあまりの人の多さに、早く家に帰りたい、と感じた数時間でした。
あれから半世紀(多分42年前の出来事だったと思います)。そんな父も住み慣れた地の名物祭りを見たくなったのでしょう。その翌年他界したので父が見た最後の御柱祭となった。
ご存知のように、ここ青森では「ねぶた祭り」が毎年行われ「日本の三大火祭り」とも呼ばれている。諏訪の御柱祭は、日本三大奇祭だ。なんか、褒め言葉なのか馬鹿にされているのか分からない呼称である。
ネットで聞かれる話だが、「7年に一度じゃあ無くて6年に一度だろう」がある。しかし実際は6年に一度でも(オリンピックも4年に一度と呼ぶし)寅年と申年に開催される御柱祭を「7年に一度」と呼んで差し支えないのでは?