誰にでも、忘れられない、記憶の中で生き続けている試合、瞼の奥に焼き付いているシーンがあると思います。村長が思い出すのは、2010年4月24日の東京ドームで行われたvs広島戦だ。
この試合は、その22日前の4月2日マツダスタジアムでの広島戦の試合前のノック中に倒れ(くも膜下出血)、5日後に亡くなった木村拓哉コーチの追悼試合として行われた。3-2と、広島が1点をリードして迎えた8回裏、一死満塁という好機に巨人は代打に木村氏の同期、谷佳知選手を送る。試合前に、「まだ信じられない。信じたくない」と述べていたそうですが、1ストライク2ボールからの4球目を振り抜いた打球は谷選手にとりプロ初となる代打逆転満塁本塁打。試合後お立ち台では涙を見せておりましたね。
巨人移籍後は家族を広島に残しての単身赴任だったそうです。リンクは貼りませんが、倒れる瞬間のビデオを今日見つけてしまいました。衝撃的でした。5日後にあの世へ旅立ってしまったのですが、37歳、若すぎますね。また、ビデオでは当時10歳だった彼の長男のその後も伝えておりました。父の後を追い、中学校までは順調だったそうですが、高校の時、右膝を負傷、結局プロへの道は断念したそうです。
ユーティリティープレーヤーだった木村選手で、思い出すのは2009年に起きた「捕手・キムタク」でしょう。記憶に残る選手でしたね。けっしてスターとは言えない存在でしたが、アテネ五輪のときは、ブルペン捕手も引き受けたり、いわゆる「プロ好み」の選手だったと思います。
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泣けたと言えば、彼が急遽キャッチャーを務めた場面。無事務め上げ、ベンチに戻る際の高揚した顔、そして彼を満面の笑顔で抱き締める原監督。もう涙が止まりませんでしたね。
御長男が野球を断念され、建築の世界を目指している事を、先月にTV番組の特集で知りました。「あんなに小さかった子が、こんなにも立派になったのか。」と感慨深かったし、笑顔が御父さんとそっくりだったのが、ファンとして嬉しかった。
野球ではプロの世界に進めなかったけれど、建築の世界ではプロとして頑張って欲しいですね。