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雑草の詩

草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です

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マイアミビーチ・ジルバ、イブのダンパ

 1977年のクリスマス・イブ、あるダンスパーティーの会場に村長はいました。と言っても、ダンスに関しては「フラワー・オンザ・ウォール」でして、友人に頼まれて生バンドのリードギター(エレキ)として参加していたのです。

 勤労青少年ホーム(勤青ホーム)という若者の交流場の文化祭などで演奏活動をしていた「かっきーず」というバンドの助っ人として何回かは参加しておりました。当時はカラオケなどありません。文化祭の催しで「のど自慢大会」伴奏が主な仕事でした。何故、1977年かと言いますと、この年、狩人という兄弟デュオが歌い大ヒットした、「あずさ2号」が信州の街角に溢れておりました。この曲をレパートリーに入れたいという女子高生のマンドリン二人「かっきーず」四人の要請で参加したのが最初でした。
 <風の噂では、この時の女子高生の一人は「かっきーず」のバンマス(サイドギター)と夫婦になったとか>

 この年の秋口、勤青ホームから「クリスマス・ダンスパーティー」で生演奏をしてくれ、との話があり、何曲か練習することとなりました。しかし、エレキギターのメロだけではレパートリーに幅がありません。そこで、知人のサックス奏者を加えることに成功します。新たにレパートリーになったのは、カトちゃんのギャグでも有名な「タブー」「マイアミビーチ・ルンバ」「アフリカの星のボレロ」。「マイアミ・・」はザビア・クガート楽団の持ち曲で、ザビア・クガートは、「ルンバの王様」と呼ばれ、「X」から始まる珍しい名前の人でも有名です。Xavier Cugat

 さて、クリスマス・ダンパは盛り上がって、参加者からのリクエストだ、と言って「ルンバ」、「ワルツ」、「ジルバ」などの指示まで出されます。
 実は「ジルバ」といった速いテンポの曲は、「ジングルベル」しか用意してありません。何回もジルバのリクエストがくるのでバンマスも考えたのでしょう。「よし、マイアミをジルバでやろう」
 結果は火を見るよりも明らか。途中でサックスが脱落。必死でカウベルを叩いているドラムの彼もへとへと。約2分で見事にTKOと相成りました。「すみません。明日はジルバの曲を増やして参りますので・・・」と、謝罪するバンマス
 翌日、一夜漬けの「ライダーズ・インザ・スカイ(シャドウズ)」「シンディグ(シャドウズ)」をレパートリーに加えて、無事初のダンパを乗り切ったのでした。なんだ、単にエレキのナンバーを加えただけじゃん?
 ちなみに、「かっきーず」の意味は、「(恥)かっきーず」なんだそうです。
 
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クラリネットの思い出

 ある楽器を聞いて、ある楽曲を連想することは多い。ガットギターなら「禁じられた遊び」サックスなら「タブー」トランペット「真夜中のブルース」など。そしてクラリネットといえば、「ラプソディー・イン・ブルー」ではないでしょうか。独断と偏見?
 ---- 閑話休題 ----
 1959年(昭和34年)青森市のキャバレー「ニューサロン」で専属バンドのリーダーとして働いていた鶴ヶ谷嘉宏というクラリネット奏者がいました。コピー機など無い時代。団員の楽譜を一枚一枚手で書く作業は大変であったと思います。
 「温度計を入れていた棒状の木のケースを転がしながら、一本一本、五線紙の線を引いていた。その間隔が全然ずれない。なんでこんなに正確に線が引けるんだろうといつも思いながらみていた」、と語るのは長女の公子さん。
 「机に向かう前、彼はいつものようにクラリネットを取り出すと、決まったある曲を吹いてその日の音を確かめていた。」は、次女恵子さんの記憶。その曲が「ラプソディー・イン・ブルー」だったのだそうです。

 村長が高校三年の時、クラリネット担当のO君ドラムスのK君の三人でバンドを組もうと語り合ったことがありました。ギター、機械笛、太鼓で何をやろうとしたのかは、未だに謎のままですが()。その機械笛のO君にリクエストした曲が、「ラプソディー・イン・ブルー」でした。導入部だけでもいいから、とせがみましたが結局吹いてはくれませんでした。自信がなかったのかな?
 尚、この変わったトリオ「話合い」だけで終わり、一回も音を出さないまま自然消滅してしまいました()。

紅白歌合戦の思い出、森繁久弥さん

 紅白歌合戦を見なくなって数十年になる。家にテレビが来た頃は、家族揃って「すき焼き」を囲み、紅白を見ることが大晦日の楽しみだった。
 お目当ては、ダーク・ダックス、ボニー・ジャックス、そしてデューク・エイセス。特にお気に入りはデューク・エイセス。
 そんな時代の紅白の思い出の一つは、森繁久弥さんとギターのアントニオ古賀さんのコラボによる、「フラメンコかぽーれ」という曲。古賀氏のフラメンコギター伴奏に乗せて、森繁氏が独特の節回しで歌いだす。
 ♪ あれは 紀の国 みかん船 ♪
 江戸時代の紀州の商人「紀伊国屋文左衛門」を唄った「かっぽれ」である。元唄は聴いた事はないのだが、森繁氏と古賀氏の絶妙な掛け合いに聞き入ってしまった。
 舞台や映画、テレビドラマにおける俳優活動と共にシンガーソングライターとしても知られており、「オホーツクの船唄」「知床旅情」として、今も歌われている名曲です。
 そんな名優、歌手の森繁久弥氏が天寿を全うしました。96歳、まさに大往生といえるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。

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