「最近の傾向として、少年野球人口が減っている」と述べたのは、初耳学とかいう番組の司会?を務める
林修先生。これに、リモート出演していた大リーガー
ダルビッシュ有投手が持論を述べた。「これまで、体罰もあったし、今時誰が坊主にしたいねん」。
それはそれで、正論だとは思う。たしかに、バントばっかしの練習や、とにかく走れ!へとへとになるまでのノック。途中で水分補給も許されない。まさに
しごきの毎日でした。もちろん、
げんこつや
尻竹刀は日常茶飯事。
そういう時代の
真っただ中にいた
村長には、『
坊主頭』に関して忘れられない思い出があります。(その前に、村長の
両親共スポーツには無理解であった、という前提があったのです。)
小学校4年から
合唱団に入り、6年生のときには当時来日した「
木の十字架合唱団」と共演もしました。当時通っていた小学校からも
10名ほど選抜されてこの合唱団と一緒のステージに立ったのです。そんな姿を見て、自らも
ママさんコーラス(当時はそんな呼び名はなかったが)をやっていた母親は、「
中学でも合唱部を続けるだろう」と思っていた、というよりそれが
当然というムードを感じていました。
しかし、
村長少年には5年生頃から熱中した
野球があったのです。そんなに大きな体ではなかったのですが、ボール投げは学年でも一二を争う肩。足は遅かったが打球をその分遠くへ飛ばせばいい、との思いで
中学でも野球をやりたいという気持ちが大きくなっていました。そこで、考えた末に、
奇策を思いついたのです。6年生の終わりだったと思いますが、それまでの12年間一度も坊主にしたことがなかったのに、
バッサリ。頼み込んだ知り合いの床屋さんも、切り終えると「一緒に付いて行こうか?」と言ってくれましたが、一人で帰宅。母は、
何も言いませんでした。
ダルビッシュ有投手の、
このご時勢に坊主なんて・・・は、同意ですが、坊主頭には、このような
使い道もあるのです。
注)この中学校では、頭髪に関しては自由でしたPR