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雑草の詩

草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です

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7月28日-その①

 青森市民にとって忘れることの出来ない日、それが7月28日である。そして我が家にとっては、二年前に亡くなった父の命日でもある。三回忌法要のために久しぶりに来た孫たちに、「今日は何の日だ」と聞いてみた。「ひいお爺ちゃんの亡くなった日」は直ぐに返ってきたが「青森空襲の日」は出てこない。
 ヒントとして、「国道から海手に向かう道路(税務署通り、柳町通り、八甲通りなど)が国道並みに広いのはなぜ?」、と聞くと「ねぶたが通るから」だって。

 昭和20年に入るとB29の本土爆撃はその激しさを増した。3月に東京を空襲したのを機に青森市は国道から海手の主要道路を拡幅し、焼夷弾による延焼に備えた。なんでも沿道の家を3,000戸ほど強制解体しての大工事だった。*ちなみに7月初め米軍は空襲の予告ビラを投下。これを見た青森市民が市内から避難を始める。これに対し国と県は食料配給を停止するなどのペナルティを発表し、市内に戻るように説得。市内に戻った市民など1,018名が命を落とした。これは、従来の焼夷弾をより強力にした新型爆弾が使用されたためである。道路拡幅バケツリレー、簡易防空壕も役に立たなかった。

 村長が小学生の時、夏休みで訪れていた頃の税務署通り大町近辺には「に組」大型ねぶた小屋が建った。今より5,6メートルは道幅が広かったと思う。当時は近所の仲間との遊び場だったり、紙芝居の自転車が来ると人だかりが出来た。この細長い空き地が、戦争の産物だったと気づくのは高校生になった頃だった。
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