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雑草の詩

草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です

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中国紙、お年寄りに席を譲らない日本人

 レコードチャイナによると、礼儀正しい日本人が電車内で高齢者に席を譲らない、という。その理由として、実年齢より老いて見られることをその高齢者が嫌う、とか「次の駅で降りますから」と断られるケースが多いのだそうだ。つまり、譲る側からすると「失礼を感じさせたくない」、譲られる側からすると「高齢にみられたくない」とか「世話を焼かれたくない」ということらしい。
 記事には高齢者(と思しき)人に席を譲ろうとするならば、次の駅で下車するような素振りで席を立ち降車口の方へ移動すればよい、とのことだ。なるほど、いい意見だ。が、高齢者に譲ろうとしたのに素早くその席に座り込むオバチャン対策は??

 村長は中学の野球部の監督(体罰バッチリの超体育会系教師)の口癖だった、「バスや電車では二本足でバランスを取る練習をしろ!」という教えを真面目に守り、空席があっても座ることは滅多になかった。そのせいか、今でも膝や足腰はすこぶる元気である。あの怖かった監督に感謝感謝。ただし、当時からの鈍足は一向に直ってませんが・・・
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「ゴジラ」と「たいほうチャン」

 タイトルから、日本のスポーツ界のスーパースターの話、とお思いでしたら期待を裏切る結果になることを、あらかじめお断り申し上げておきます。
 「ゴジラ」こと松井秀喜氏が現役引退し、昭和の大横綱「大鵬」がこの世を去りました。実はこの二人、村長と非常に関係が深いのです。
 小学校低学年の音楽の授業の前だったと思います。音楽の教科書に載っていた「荒城の月」の楽譜を読んだ村長少年は、大きな声で「みみなし ごじら ・・・」。ミミラシドシラを文字ってのギャグのつもりでした。以来つけられた渾名「ゴジラ」。松井秀喜選手の生まれる何年も前のエピソードです。
 その後は20歳までコレといった渾名はなかったのですが、大学で始めたフォークコーラス同好会(通称アメ民)が縁で新たな渾名が生まれることに。
 コーラスグループ名を「ザ・ウィーズ」と命名した4人の活動は当時吹き荒れたフォークソングブームに乗っかり、学園祭ではひっぱりだこ。様々なイベント、フェスティバル、コンテストに学業そっちのけの毎日でした。
 そんなある日新潟と長野の県境にある「赤倉温泉スキー場」でのアルバイトの話が来ました。詳しいいきさつはわすれましたが、ゲレンデを見下ろすレストラン一日数回ライブを行い、温泉宿に泊まり、スキーし放題、賄いの食事付一週間は貴重な体験にもなりました。
 この赤倉での演奏活動中、いろいろな出来事がありましたが、それはまたの機会にして、「大鵬」に関する話です。ある夜のステージで、ウィーズの前に女子大生のグループが陣取っておりました。黄色い歓声やアンコールを何回もコールするなどノリノリの若い子にウィーズもメロメロ。その女子大生が村長につけた渾名「たいほうチャン」だったのです。
 村長は当時170cmの85kg。横綱大鵬を二周りほど小さくした体系ですが、顔が似ていたのでしょうネ。そういえば亡母からも「大鵬に似ている」と言われたことがありました。

「寒」中「暖」あり

 日曜日に市内の積雪量が99cmになり、大台も時間の問題かと思いきや、ここ二日ほど最高気温が4~6℃と桜や梅のつぼみもビックリする暖かさ
 雪は降らなければ降らないで落雪や道路のがちゃめきで、雪片付け作業が無くなることはないのである。いや、軽い新雪よりも水分を含んだ雪や凍った雪の塊はやっかいである。
 ところで、この歳になると屋根に登っての雪下ろしはしんどい。登るのはいいとしても、降りる時には足腰膝が笑っているので梯子を踏み外さないかと恐怖が走る。そんな村長を見かねてか、この日曜日に向かいの建設会社の若い衆が二人手を貸してくれた。「年寄りは無理すなじゃ」と、口は悪いが気は優しい。母屋と小屋の屋根雪をきれいにしてくれた。
 寒い冬でも人の温もりを感じられた一日でした。

ゴニンカンはやらない

 津軽地方には江戸時代に全国に出された禁止令を逃れたトランプゲームがある。「ゴニンカン」と言い、元はポルトガルだそうだが、「ナポレオン」に似た絵取り競技だと思えばよいだろう。文字通り五人が参加し、二人(親)と三人(子)が絵札の枚数を競う。ゴニンカンの「カン」は関係の「関」である。
 青森に越してきてこのゲームを知り仲間に入ろうと思ったことはあるのだが、未だかつて遊んだことはない。その理由とは。
 熱く成り過ぎる、のだ。一種の賭博だから負けてくると味方同士で罵り合ったり、作戦上許されるスパイ行為に本気で怒ったり、と「場の空気」が殺気を帯びてくるのだ。とても素人がゲーム感覚で「かててくれ」とは言えない真剣勝負なのだ。
 そういえば東京で下宿生活を始めたころ、「若宮荘」の住人の間でも「ナポレオン」が流行った時期があった。こちらは賭博性はないものの必ず誰かが熱くなり過ぎてお開きになったものだ。
 「ナポレオン」(親)になるには、手札を見て絵札20枚のうち副官(相棒)と合わせて何枚を獲れるか宣言し、最高枚数を宣言した場合になれるのだが、意地っ張りが競り合うと「パーフェクト(20枚全部)」になるまで双方ともに譲らないのだ。勿論、いい手の時はパーフェクトは有り得るのだが、副官頼りで20枚を宣言してしまうことも。
 このナポレオンにも亜流があるみたいで、切り札に決まったスートのジャックをオールマイティ(スペードのA)の次に強いカードにしたり、片目のジャック(二枚ある)を強いカードにしたり、などなど。だから、自分(親、ナポレオン)がオールマイティを持っているときは、切り札のジャックを持つ人を副官に指名することが多い。この副官が最後まで分からないことがあり、敵(3人)の仲間の振りをすることをスパイと呼んでいた。
 
 今年の「ゴニンカン世界大会」は20日、五所川原市で開催される。駆け引きに秀でたゴニンカントランプ協会認定の有段者が大勢集まることだろう。

体罰、中学校の担任

 大阪の市立桜宮高校の体育教師による体罰が問題になっている。同じ大阪出身で元巨人軍のエースだった桑田真澄氏がNHKのインタビューに応え、時代遅れの体罰教師は反省し勉強しろ、と糾弾している。自身の小中学校時代の体罰と高校時代の無体罰の野球生活を振り返り、高校時代に一番成長した、と述べている。

 村長の中学校時代、野球部の教師から体罰なるものを受けた。今でも「校庭での正座」は鮮明に覚えている。ははは、芝生や砂場の校庭なら大したことは無いだろう。村長の中学校のグラウンドは小さな砂利だらけ。毎年春新入部員の日課は、グラウンドの石拾いなのだ。わずか一時間ほどの罰なのだが、救える点が二つ。
 この北風先生はチームワークを重んじる方針から、罰を部員全員に課すのが常だった。一人の部員の怠慢は全員のミス。二人の無駄な会話も全員で罰を受けた。そしてもう一つは罰を与える場所。他の生徒からは見えにくいように校庭の片隅で行うのだった。しかしその配慮も正座する側からすれば、むしろグラウンドの中央の方が石の大きさも小さくて両膝へのダメージは少なかったのだが・・・
 一方、村長の担任「太陽先生」。中学三年間この先生が担任でしたが一度も体罰なるものを受けたことは無いし、体罰をふるうのを目撃したことも無かった。見た目は、あの北風先生よりも強持て恰幅がいいのだが、その真ん丸な顔と優しい目は、まさに太陽。
 太陽先生は、とある観音院の住職でもあった。彼を人生の師と仰ぐ教え子は数多い。と思う。
 

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