忍者ブログ

雑草の詩

草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

スーパーセル発生

昨日の午後、埼玉・千葉の一部で「竜巻とみられる突風」が発生。64名の負傷者600棟に及ぶ家屋倒壊を出した。気象庁は今日も注意を呼び掛けている。
 スーパーセルという初めて聞く気象用語はどうやら巨大積乱雲のことらしい。雷雲という表現も見受けられる通り、地表と上空の気温差によって生じる積乱雲により強い上昇気流が突風となった。
 今日の気象庁の現場検証によって「竜巻とみられる突風」は「竜巻に間違い無い」そうである。ややこしいが、ダウンバーストという突風もあることから正式発表と相成ったわけである。昨日は、竜巻とみられる突風が発生してから竜巻注意報が出されるなど、人智も自然には勝てないことを証明しておりますね。
 それにしても、スーパーセルって日本語ではなんと言うのでしょう?超入道雲?
 なんてネットで調べていたら、ある言葉を発見。「雷雲群」と言うらしい。「supercell」ではなく、「スーパーセル」で見つければ早かった。
 どうやら「降水セル」という雨や雪などの降水現象や低気圧を構成する空気の塊を表す気象用語からきているようだ。
PR

帰宅部?

 先週の土曜日、久しぶりに孫たちがお泊りに来た。去年までサッカー部だった下の男の子の膝を見てビックリした。きれいなのだ。いや、きれい過ぎるのだ。村長の小六のときとは雲泥の差だ。
 「グランパ(家ではそう呼ばれている)の頃は・・・」と言うと、「またか」と逃げ出すので、「お前たちのお母さんだって泥んこ、傷テープだらけで遊んでいたんだよ」と、まずは30年ほど昔の話から始めることに。
 実際、村長の長女は小さい頃は活発で、吊りズボンが好きな女の子だった。社宅として借りていたアパートに砂場とか庭は無かったが、アパートの横には猫の額ほどの空き地があり、三方が木の塀で囲まれていたため車や人と隔離されて安全な遊び場だった。娘は近所の友達の中では最年少だったが、朝になると「おーい!みんな 出てこいーー」と、帽子に吊りズボン長靴をはき、手にはバケツとスコップ姿で仲間を招集する。まるっきり男の子だった。
 長女は頭にできものができたため、丸坊主にしていた所為もあって、よく「坊や!元気だね」と声を掛けられていた。
 そんな長女のエピソード。岡谷市公民館で行われた「加山雄三ショー」では、栄えある花束贈呈の数名に選ばれ、ステージ上で加山雄三と握手した。加山氏、「ボク!大きくなれよ」
 長女の時代には、傷テープがあり、手軽にキズの手当てができたが、それまでは「赤チン」しかなかった。軽い擦り傷はこれを塗って終わり。ちょっと深い傷だと、(いやがる村長を押さえつけて)母がオキシフルを付けてから軟膏を塗りガーゼをあて、薄茶色のテープで固定する。しかし、そのまま遊びの輪に飛び出して行くので、アッと言う間にテープは外れガーゼも飛んで行く。結局また赤チンのお世話になるのだ。一年365日、傷は絶えなかったと記憶している。
 そんな話は、やはり孫たちには馬に念仏だった。「あ そう」と、また携帯ゲーム(親のスマホ)に没頭してしまった。
 そういえば、長女(孫たちの母親)と違い、次女は「帰宅部」だった。運動は大嫌い。アンチ帰宅部の村長とは大違いだ。一体、誰に似たんだろう?

お墓参りは遠足だった

 村長の母方のご先祖の墓は三内霊園にある。もう半世紀以上前の記憶だが、お墓参りは一大行事だった。三代が暮らす旧家の総勢は村長の母と弟を加えると12人。市営バスで行くのだが、臨時の停留所まで歩いてバスの来るのを待つ。
 田舎のバスで揺られること40分あまり、三内の駐車場に着く。そこから花や水を用意してお墓に向かうのだが、遠い場所だと数十分は歩く。村長のご先祖様のお墓は、幸いにも5,6分のところにあり、さらに幸運なことに直ぐそばには「あずまや」があった。
 村長を含めて4人の子供たちの目当ては、墓参りよりもその後のご馳走だった。坊主の読経を神妙に聞いているフリをしてはいたが、心はご馳走にあった。
 「あずまや」といっても4本の柱と屋根、中央に大きな木製の円形テーブルと小学生の木工授業で作ったような粗末な椅子が数個あるだけ。そのテーブルにビニールシートを広げて料理を置く。まるで遠足気分だったのを覚えている。
 今日、愛車(原チャリ)で三内霊園に行ってみると、当時はグルリとお墓を囲むように青木の柵があったのが、きれいに片付いている。おかげで目印が無くなって探すのに時間がかかってしまった。クモの巣やゴミを排除したりきれいに刈り込む手間がかかるので、とっぱっらったのだろうか?正面に残った白い鉄扉が意味なく残っているのも昔を知る人には異様な光景だった。
 年期の入ったお墓にお参りし、傍らの「あずまや」に目をやると、7,8人の家族がご馳走を囲んでくつろいでいた。椅子の上に立ってテーブルの上にある好物を手繰り寄せている子供を見ていると、何か遠い日の自分を見ているようで一人物思いに耽ってしまった。

「大東亜戦争」と呼ぼう

 今年も8月15日がやってきます。予想通り、特亜と呼ばれている国では例年通り靖国発狂騒ぎが。日本の首相が為すべきことは、靖国参拝ではなく(それも大事だが)、天皇陛下のご親拝を実現すること。恐らく、靖国に眠る英霊と呼ばれる人たちが望むのもそれが一番でしょう。国の指導者の英霊への謝罪はその後でよい。
 お盆の13日、父母の墓参りをした。といっても自宅から徒歩2分の共同墓地に墓はあるので、月に一度は清掃に訪れているのだが。そして父が生前、戦友たちとハガキや電子メールで語り合っていたのを思い出した。日本は戦争を止めたんだ、と。けして負けたからではない、とも。
 ブラジルの日系人の間で起こった、「勝ち組負け組」といった話でも、列強からのアジアの解放を達成したから日本は勝ったのだ、ということでもありません。父の戦友たちの話を総括すると、もしも戦争を続行していたら日本は勝っていた、という意見が殆どだった(電子メールは村長が代筆していた)。今日、偶然ドクター中松氏の論文を読んで、実際に戦争を戦った人の言葉の重みを感じた次第です。
 それにしても、日本もアメリカ(ハワイ)への報復原爆投下を考えていたとは知りませんでした。さらには、自分の信念の為には切腹を覚悟して行動した将校のいたことも初めて知りました。
 と同時に、アメリカ(トルーマン大統領)が勝手に作ったイカサマ文書(ポツダム宣言とかいう大袈裟な名前がついている)を元に、「日本の領土は本州を含めた四島だけだ。ポツダム宣言にそう書いてある。」などと妄言を云う団塊親父がいることには驚きを禁じ得ない。

経験の無い大雨

 物凄い雨音に目を醒ますと、横殴りの雨は透明の窓ガラスを斜め模様の型ガラスに変えていた。今にもガラスが割れそうな音がバシャバシャと響いている。クレセント錠をしっかり掛けないと、アルミサッシの枠と障子の隙間から雨の跳ね返りが入り込んでくる。
 テレビの地デジ放送を見ると、東北北部に大雨雷雨注意報が出ている。さらに秋田県の一部には、経験したことのない大雨警報も。ん!経験の無い大雨、ってそんな気象用語あったっけ?
 豪雨の表現はいろいろある。バケツをひっくり返したような。車軸を流すような。土砂降り。など。気象用語では、
 やや強い⇒強い⇒激しい⇒非常に激しい⇒猛烈な
となっている。経験の無い、というのは恐らくそれ以上なのだろう。
 経験の無い、を超えたらどうなるのだろう?などと呑気なことを考えていたら、日が差してきた。千年に一度の大雨、とかになるんだろうか?

カレンダー

03 2025/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[01/02 giants-55]
[06/22 村長]
[06/22 giants-55]
[04/05 giants-55]
[11/22 岩崎 英明]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
村長
性別:
非公開

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R