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雑草の詩

草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です

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帰宅部?

 先週の土曜日、久しぶりに孫たちがお泊りに来た。去年までサッカー部だった下の男の子の膝を見てビックリした。きれいなのだ。いや、きれい過ぎるのだ。村長の小六のときとは雲泥の差だ。
 「グランパ(家ではそう呼ばれている)の頃は・・・」と言うと、「またか」と逃げ出すので、「お前たちのお母さんだって泥んこ、傷テープだらけで遊んでいたんだよ」と、まずは30年ほど昔の話から始めることに。
 実際、村長の長女は小さい頃は活発で、吊りズボンが好きな女の子だった。社宅として借りていたアパートに砂場とか庭は無かったが、アパートの横には猫の額ほどの空き地があり、三方が木の塀で囲まれていたため車や人と隔離されて安全な遊び場だった。娘は近所の友達の中では最年少だったが、朝になると「おーい!みんな 出てこいーー」と、帽子に吊りズボン長靴をはき、手にはバケツとスコップ姿で仲間を招集する。まるっきり男の子だった。
 長女は頭にできものができたため、丸坊主にしていた所為もあって、よく「坊や!元気だね」と声を掛けられていた。
 そんな長女のエピソード。岡谷市公民館で行われた「加山雄三ショー」では、栄えある花束贈呈の数名に選ばれ、ステージ上で加山雄三と握手した。加山氏、「ボク!大きくなれよ」
 長女の時代には、傷テープがあり、手軽にキズの手当てができたが、それまでは「赤チン」しかなかった。軽い擦り傷はこれを塗って終わり。ちょっと深い傷だと、(いやがる村長を押さえつけて)母がオキシフルを付けてから軟膏を塗りガーゼをあて、薄茶色のテープで固定する。しかし、そのまま遊びの輪に飛び出して行くので、アッと言う間にテープは外れガーゼも飛んで行く。結局また赤チンのお世話になるのだ。一年365日、傷は絶えなかったと記憶している。
 そんな話は、やはり孫たちには馬に念仏だった。「あ そう」と、また携帯ゲーム(親のスマホ)に没頭してしまった。
 そういえば、長女(孫たちの母親)と違い、次女は「帰宅部」だった。運動は大嫌い。アンチ帰宅部の村長とは大違いだ。一体、誰に似たんだろう?
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