大玉村?と言われても、それ!どこ?となった村長ですが、福島県にあるみたいですね。その
大玉村と南米ペルーの空中都市として有名な
マチュピチュ村が
友好都市の協定にサインした。マチュピチュ村が協定を結ぶのは
世界で初めてのことだという。
なんで福島県の地方の村と?とお思いでしょうが、それには
一人の偉大な日本人の存在があった。その人の名は
野内与吉(のうち よきち)さん。福島県安達郡大玉村の農家で生まれた野内氏は、1917年
ペルーに移民。その後5年ほどの紆余曲折を経て
マチュピチュに定住した野内氏は、何もなかった村に畑を作り(河川の整備)、水力発電により電気をもたらすなど
村の発展に努めた。
そうして人望を得た野内は1939年行政の
最高責任者に就く。当時は村ではなかったので村長という肩書きではなかった。正式に
村となった1941年まで責任者だったので
初代村長といって良いだろう。また、彼の
次男も後に村長職に就いている。
そんな野内与吉氏の縁もあり、今回友好都市協定に至ったわけである。今回式典を前に大玉村からの訪問団は、クスコ市の隣の村にある野内与吉氏の
墓に献花し手を合わせた。そこには与吉の孫で、今回の橋渡し役を務めた
野内セサル良郎氏の涙ぐむ姿があった。
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