草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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市内の積雪量が100cmを超え、豪雪対策本部が設置された。17日からは除排雪強化日間も始まり、20日までダンプ、ブルドーザーはフル回転で主要道路の雪を片付けている。
ところが、昨年の東日本大震災の影響で、いつもは手配できていたダンプが足りないと言う。降雪量が少ない八戸方面からの援軍が、瓦礫搬送などのため、今年は激減しているのだ。
そして雪による事故は昨年の倍以上。まだ冬半ばというのに死者数も7人と、昨年度の3人を大きく上回っている。寒さが一時緩んだ18日にも隣町で一人、落雪に埋もれた老人が亡くなっている。
我が家も1mを超えたら屋根雪(雪庇/せっぴ)を落とさなければならないのだが、正月明けから絶え間なく降る雪のため時期を失してしまっていた。昨日の夜中、轟音とともに大量の屋根雪が落下。慌てて裏に回って確認したところ、洗濯物を干す土台付きのステンレスパイプがグニャっとなっていた。テラス窓はコンパネを立てかけていたので無事だった。
ところで、落雪が直撃する位置には半坪ほどの物置小屋がある。この屋根にも1mを越す雪が乗っかっている。屋根の勾配は緩いが、積もった雪を落とすのは簡単だ。片屋根だから下から雪ベラでつつけば良い。しかし、ここで考えた。もしも1mの雪を除去すると母屋の屋根雪が落下した場合の小屋への衝撃は、1m分増すことになる。この1m分の差が小屋への衝撃力の差となるのだが、何ニュートンの差になるかは専門家に任せることとして、村長の勘では、小屋の雪は残しておいた方がいい、との結論となった。実際、小屋はなんとも無かった。ははは、単に空骨病み?PR
使うと恥ずかしい英語のフレーズ集によると、What time is it now? (今、何時ですか?)はダメなのだそうです。is に現在を表す意味があるから、なのだそうです。正解は、What time is it? など。
昔、「掘った芋 いじるな」と言えば通じる、と何かで読んだものですが、正解は「掘った芋 いじる」???何か間の抜けたものになってしまう。
ちなみに、津軽では「掘った芋ば ちょしへな」。
他にも恥ずかしいフレーズとして、A happy new year. とか I'm fine thank you. I am exciting. などを上げているが、つい使っていそうなフレーズだ。
ただ、さすがに I like cat. は言わないだろう。
漫才師のビートたけし氏の本当か嘘かわからないエピソード。アメリカに行った時の事。宿泊先のホテルをチェックアウトし、タクシーを呼んで欲しくてフロントに、「Call me TAKUSHI.」と言ったところ、係員が映画監督としての北野たけし氏を知っていて、気楽に「僕を『TAKESHI』と呼んでくれ」と言ってくれたと思い、「TAKESHI TAKESHI」と大声で言ったため、「世界の北野」を見ようと人だかりが出来てしまったとか。
村長の長女は介護支援センターに勤めている。昨年末のこと、入所者のおばあさんの話し声に「どこかで聞いたイントネーション」を感じ、どこの出身か訊ねたのだそうだ。おばあさんは青森の出身だが、若い頃長野県の諏訪市で暮らしていた、とのこと。
長女は「私も生まれは岡谷市で、祖父母は諏訪に住んでいました。私が生まれてすぐ、おじいちゃんが入院した時は日赤病院に毎日お見舞いに行ったのだそうです。」。すると、おばあちゃん「へえ、そうなの。私は諏訪の日赤病院で長い間働いていたんです。」。
そうなんです。村長の父-長女の祖父-が発病したのは長女が生まれてすぐのこと。手術担当医の「五分五分の確立ですね。後は本人の生への強い気持ちでしょう。」との言葉に初孫である長女を連れて毎日お見舞いに行っていたのです。退院後も毎土日曜日には祖父母の家にお泊りに行っていました。
長女の記憶の中は、生まれ育った岡谷より諏訪の祖父母の家(村長の家でもあった)が多くを占めていたのです。長女がこちらに来てから33年。三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、5年間暮らした諏訪地方の言葉を覚えていたのです。
昨夜は次女が東京に戻るというので長女と孫たちが夕食に来ました。テーブルには信州の味がいっぱい。岡谷の義兄からの「マグロの味噌漬け」と「塩いか」、伊那の親戚から届いた長いもを輪切りにして炒めたもの。しかし、娘たちは「信州の味」は全く記憶に無いそうである。
31日の朝、「お年とり」に東京の次女が帰青した。前日の夜までの雪また雪の荒れ模様がウソのように、大晦日と元日は快晴。雪のひとかけらも落ちてこない。
帰青する度に「雨女」とか「雪女(?)」などと言われていたのに、今回は東京から暖気を運んできてくれたようだ。
皆さん、明けまして おめでとう ございます。本年も気紛れに、いろいろと彷徨いながら書き綴ってまいりたいと思っております。
天皇陛下は年頭にあたり、震災復興に向け英知が結集されますよう、作業に携わる人の安全が確保されるよう、とコメントされました。
野田政権は、内需拡大=国内消費アップに英知を絞って欲しい。そうすれば、TPP問題も税収増大も財政健全化もクリアできますヨ!。
本年もヨロシク!
仙台市といえば、伊達政宗が目指した「杜の都」であり、土井晩翠は青葉城を見て育ち近代日本音楽の代表曲「荒城の月」を作詞した。東京にも近いことから「東北の玄関口」との呼称が最もピッタリする都市である。まさに、東北の中心に相応しい大都市である。
しかし、今年は「東北の中心地」はここだ!と再確認した街があった。岩手県中尊寺である。
今年を表す漢字一文字に「絆」が選ばれましたが、村長は「金(きん)」もアリかな?と思っておりました。清衡が、みやこびとから「蝦夷(えみし)」とか「奥の夷(をくのえびす)」と蔑まされ攻撃されていた東北に平和をもたらし繁栄させ、お上をも嫉妬させた黄金郷。「みちのく道(現在の東北自動車道)の中心」平泉町にある中尊寺が、今年「世界文化遺産」に登録されました。「金」の都です。
そして勿論、なでしこジャパンがW杯を制した際の歓喜の輪を彩った「金の紙ふぶき」は、いまでも強烈に蘇ってきます。