草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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「すいか」騒動と聞くと、津軽の人は「また、
屏風山のスイカが盗まれたか!」と思うだろう。しかし、今回の騒動は「SUICA」騒動だ。
東京駅開業100周年を記念して限定15,000枚の
SUICAを記念日の20日に発売したところ、販売開始1時間前に、約
9,000名が並び、販売開始時間を繰り上げたものの
列は乱れ割り込みも発生し危険と判断した警察と駅側は
販売を中止した。
これに怒った人が駅員に詰め寄った。
「ルールを破り前日から並んだ人に販売して、正規に並んだ人に売らないとは」とか
「未明から並んでいた。遠くから来たのに」などの不満が爆発したかっこうである。
駅側の
甘い予測が生んだ混乱なのはあきらかだ。「想定外の人数」というが、予想5,000人なら9,000人は想定しなければならないだろう。また、
整理の人数も不足していたという指摘もある。徳川家康の
「割り込み禁止令」以降、行列に関しては世界の模範とも言われている
「行列大好き日本人」が列を乱した。これは、非常事態と言える。
また、転売目的の人も多かったという。2日過ぎた今日のネットオークションで、一枚2,000円のSUICAが50,000円の値をつけていたそうだ。実に
25倍である。この調子だと50倍、100倍、いや
それ以上の値も・・・
と思いきや、駅が今日発表したコメント。
「購入希望者全員に渡るよう、増刷します」。あっけないオチ。並んで買えなかった人は、さらにプンプン!
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電車内で、高齢者が妊婦を差し置いて座席に座ったことが議論を呼んでいる。「立っていると辛い」という妊婦に「そんなんじゃ、丈夫な子を産めないよ」と高齢者が一括したそうだ。
というより、これを見た女子大生が妊婦に席を譲った後、高齢者に「自分が座りたかっただけじゃないですか」とかみついたことが論点らしい。「先輩になんてことを」とか「あなたが正しい」と賛否両論飛び交っている。
まあ、高齢者の言う「座っていたら、丈夫な子を産めない」かどうかはわかりませんが、それだけ元気な高齢者なら「座っていると足腰が衰えますよ!」と言ってあげるのがベストでしたね。
村長は中学時代の野球部の監督の教えを守り、バス・電車では極力立ちんぼです、今も。自分勝手な思い込み化もしれませんが、この年で草野球で走れる(速度は遅いけど)のは、立ちんぼが功を奏しているのだと思っています。
ただ、コメントの中に「団塊世代が悪い」というような根拠レスなものがあり、勘違いも甚だしい、とプンプンの村長です。
PS:今日のニュースで、スーパーの障害者専用駐車区域に駐車する高齢者がいたとのこと。注意した人に、自分は高齢者で障害者と似たようなもの、と逆切れされたとか。これはクレーマー老人認定ですね。この事例が、ほんの一部の高齢者であることを願います。
日曜日、孫たちが遊びに来た。そして、夕方、恒例となった食事処選びとなる。一番候補に回転すし。続いて焼肉店、ちょっと遠いが中華料理店。近間でうどん屋、ファミレスなどが挙げられたが、新規候補として牛丼家が選ばれた。近くて安いからだとか。
皆で、話題(?)のすき焼きセットを堪能しての帰路。娘が凄いエピソードを披露してくれた。昔(いつごろかは忘れた)流行った「一杯のかけそば」ならぬ「一杯の牛丼」の話。「一杯のかけそば」は母と二人の子供が大晦日の夜に、一杯のかけそばを三人で分けて食べるという涙なくしては語れないお話だ。
2011年3月11日。東北地方を巨大地震が襲った。道路は寸断され、津波などで大勢の人が命を落とした。青森も停電と断水などで晩御飯にありつけない人が多かった。オール電化の住宅に住む孫たちは料理を作れないため町に出て、コンビニ、食堂、ラーメン店などを探す。しかし、全て売り切れ。
それでもと開店している牛丼店を見つけて入る。勿論ガス・水道・電気が無い店で食べれるものは無かった。親子三人が店を出ようとすると店員さんが、「自分用に作った牛丼が一杯だけある。冷たくなっちゃったけど、それでよければ差し上げる」。
店員さんが断るのを押し切って一杯分のお金を置いて三人は帰宅。キャンプ用のガスボンベでそれを温めてたべることに。母親は冷蔵庫から引っ張り出した漬物やサラダを食べ、牛丼は孫二人で分けることとなった。
ここまでは心温まる展開なのだが、一杯の牛丼の分け方が異常だった。思わず爆笑するほどの衝撃だった。なななーんと「一杯の牛丼」を上下二等分して分け合ったのだ。下のご飯部分を弟、上の牛肉と玉ねぎは姉が。なんだそりゃ!その分け方が、二人で出したWinWinの結果なのだ。へんな姉弟!
中一の孫(男の子)に、「英語の歌の一つでも覚えたか?」と聞くと、「無い」とそっけない返事。「えー!一曲も無いの?」と村長。さらに、「ABCの歌は知らないの?」と尋ねると、「あー知ってる」。あるじゃん!
村長が初めて覚えた外国語の歌は、・・・・・「せんぽーうぃしゃいんとぅないせんぽーうぃるしゃ」。そう立教大学の校歌です(かなりいい加減におぼえていましたね)。たしか小4のとき、あのミスターこと長嶋茂雄氏と同級だった叔父さんの指導でなんとなく覚えさせられたのがこの歌でした。
次に覚えたのは翌年の12月のこと。当時母が中南米音楽に夢中で「いつか南米に行くんだ」と習い始めたスペイン語教室のクリスマスパーティでの出来事。母に連れられて参加し、数十人で合唱した「聖夜」が二曲目でした。勿論スペイン語で。
♪ ノーチェ デ パス ・・・ ♪
かすかに思い出せる程度ではありますが、母に書いてもらったカタカナの歌詞を目で追いながら必死に歌いました。昨日の記事のトリオ・ロス・パンチョスやインカの歌姫と呼ばれたイラ・コリー、グラシエラ・スサーナ、クリスティーナとウーゴなどなど、母と一緒にコンサートにも行きました。
このクリスマス会はスペイン語の先生夫婦の自宅で開催されたと記憶してますが、会場に入ると迎える先生が来客ごとに「デ ドンデ ・・・・」と尋ねていました。母に何と言っているのか聞くと「どこから来ましたか?」なのだそうです。
渋谷の百貨店に珍しいマグロ(ミナミマグロ)が展示された。店では解体ショーを企画するも、研究団体から研究材料として提供してほしいとの声があり、急きょ解体は中止。研究団体へ提供されることとなった。
このマグロは真っ白の皮膚だという。専門家によると、「アルビノ」と言われる先天性白皮症で、白子とも呼ばれている。ただし、中は普通のマグロと一緒だそうです。
トリオ・ロス・パンチョスかよ!
とツッコミを入れそうになりましたが、「ソレ何?」と妻。「えー、同じ年代なのにトリオ・ロス・パンチョスをしらないなんて・・・」by村長。日本のCM外人タレント第一号は彼等だったんですよ。
そうです。メキシコの楽団トリオ・ロス・パンチョスのヴォーカル、ジョニー・アルビノ氏なんです。村長が物心ついた時に彼の名前を知りました。確か母に連れられてコンサートにも行った記憶があります。ちなみに他の二人は、チューチョ・ナバロ氏とアルフレード・ヒル氏。「ラ・マラゲーニャ」でナバロ氏が「マラゲーーーーーーーー 」と、ファルセットでかなり長く引っ張る唱法が印象的でした。
1981年には一人脱退したため、ロス・パンチョスとして活動していたそうです。そりゃあ、トリオ(三人組)ではなくなったモンね。