「あの日」、村長は、いやあの日当時は村長ではなかった。一サラリーマンだった私は、何年ぶりかの出張で仙台に向かっていた。とあるメーカーの東日本地区の新年会に招待されて、普段とは異なる「いい身なり」で朝一番の電車に乗っていた。
同行の一人が「ちょっと失礼」と携帯電話を受電し、デッキに向かったので目を覚ました。間もなく仙台に着く頃だったと思うが、その彼が興奮した顔で席に戻ってきた。「神戸で地震があり、百名を超える死者が出ている」。
仙台駅でテレビ速報を見てまた驚く。死者の数が300名を超えていた。会場までの送迎バス内でも震災の話題で持ち切りだった。会場ではゲストとして壇上に歩く女優の手塚理美さんを間近で見れて一時は忘れかけていたが、来賓の挨拶でも震災に触れたことで再び現実に引き戻された。その来賓の方は最新情報として犠牲者数は千人を超えたと述べた。しかし、死者数はそれをはるかに上回り戦後最悪となる六千人を超えた。
その記録が2011年に大幅に塗り替えられるなどとは、「あの日」思いもしなかった。
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