面白い記事をみつけた。宮崎のキャンプ地を訪問したミスター。高卒ルーキーの岡本選手の打撃を見て、松井以来の大器と目を細めた。5分ほどミスターと話をし、最後に岡本選手が礼を言った。「あざっした」。
これには内田二軍コーチも苦言を呈したそうだが、監督も務めた偉大な人、と認識していただけでもヨシとしなければ。18歳といえば、ミスターが脳梗塞で倒れたときは7歳、今どきのルーキーの標準ではないだろうか。
これを見て思い出した。村長が中学校一年の時、野球部に入ったはいいがほとんど球拾いと草むしりの毎日だった。そんなある日、競馬場野球場で練習試合があり、レギュラーの上級生はクールダウンの体操やベンチで休んでいた。補欠の選手や一年生はいつものように草むらに入った球を探していた。するとそこへ練習に来た三協精機の野球部の数名のうちの一人が「ノックをしてやろう」。
十分位でしたが、その小さな大人の人に「ありがとうございました」と言って部員のところへ戻ると「お前たち凄い人からノックを受けたんだぞ」。ポカンとしている村長たちに、先輩が教えてくれた。「あの人が光沢毅さんだ」。小さな大投手として春の選抜で飯田長姫を優勝に導いた信州の英雄だったのです。
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