昨夜大きな物音に驚き目を開けると、棚の上の目覚まし時計が床に落ちているではないか。地震だ!すぐにTVをつける。震源は福島、宮城らしい。11年前のあの記憶がよみがえる。しかし、数十秒で揺れは収まり。報道でも津波の心配はナシ、原発も異常なし、ということで寝床に戻った。
森喜朗五輪組織委員長の発言が、謝罪と撤回しても許されず、辞任してもバッシングの嵐。村長には、日米開戦前の異常な集団心理に重なって見える。ボランティアを辞退する人、聖火ランナーを辞めると言い出す人、しまいにはアスリートからも批判が。
確か東京五輪2020の大きな旗は、東日本の復興、ではなかったか?まあ、そんなの建前だ!と言われればそれまでですが、何%かは、その理念のもと五輪を成功させようではなかたか。東日本の復興を再び、との合言葉はどこへいってしまったのか?その程度のボランティア、聖火ランナー、アスリートなんだろうな。
少年だった村長の記憶に残っているのは、東京五輪1964で見た閉会式の光景でしょう。そもそも閉会式まで選手たちが残っているのが珍しいことで、旗手と少数の大会役員による閉会式が一般的でした。そんな厳粛さを想像しておりましたが、目に飛び込んできたのは、何千人もの選手・役員が入り混じっての狂喜乱舞(ちょっとオーバー?冬ということで)だったのです。「和」の精神をそこに見つけた日であります。
歴史は繰り返す、とはよく聞く言葉です。しかし、繰り返してほしくない事は沢山あります。そして、あのイビチャ・オシム氏の言葉を思い出さずにはいられません。「新聞は戦争を始めることができる」
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