草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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昨日の対楽天戦を最後にオープン戦も終わり、プロ野球は26日の開幕を待つだけとなりました。パ・リーグの試合も何試合か見ました。ソフトバンク、日ハムは何人かは顔と名前が一致する人がおりました。しかし、オリックス、ロッテ、楽天となると、投手以外では顔は勿論、名前を聞いても知らない選手ばかり。
これは、交流戦が新型コロナの影響で中止になったのが原因かもしれませんが、いかにパの試合をTVでやらないか(特に地上波)というのも一因と思われます。楽天戦でも浅村選手や銀次選手が出ていないせいもありますが(銀次選手は終盤出ましたが)、殆ど知らない選手ばかり。でも、解説者によると、昨年のチーム打率は12球団でトップだと言う。
さらに驚きなのは、その投手陣。涌井、田中(将大)、早川(新人No.1との呼び声)、岸、則本と、錚々たる顔ぶれ。特に今年は東日本大震災から10年目に加え、ヤンキースから日本球界に復帰したマー君の存在は、ムード的にもかなりのプラス効果がありそうです。SBの連覇を止めるのはやはり楽天なのでしょうか?
チーム結成時に買った、クリムゾンレッドのトランジスタ・ラジオ(死語??)は、使われないまま(非常時用に購入)ですが、コレばかりは使うことが無いことを願うばかりです。
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3月11日を数日後に控え、テレビでも様々な話題や復興支援番組が放送されている。そのほとんどは、岩手・宮城、三陸海岸や福島で占められている。しかし、八戸市界隈も甚大な被害をうけた。6日、「奇跡の鳥居」として有名な八戸市大久喜地区の小学校で、この鳥居の解説板除幕式が執り行われた。
「奇跡の鳥居」の名称は、津波で流された鳥居がアメリカの西海岸で発見されたことによる。今回設置された解説板には、その経緯とともに鳥居再建に尽力した人々の功績を称える言葉が書かれている。
青森に住んで40年、この間の重大事件の第一位は勿論2011年の東日本大震災。第二位は、1993年の奥尻沖地震。この時は、仕事中だったために同じ職場の社員が転倒して大けがをしたため、第二位にランクインしました。この二件に比べたら、三位以下はドングリの背比べ。大雪の被害が続くでしょう。しかし、総合すると雪害を除けば気候的には過ごし易い土地であることには変わりありません。
7日の日曜日には、八戸市を中心に様々なシンポジウムが開催されたみたいです。「あの日の記憶を忘れないー」が共通のテーマだったそうですが、青森市民にとっても、忘れられない日です。
時代は令和に入り、昭和は遠くなりにけり、と感じることが多々ある。そんな中、ある記述をネットでみつけた。バレーボールの用語に、「ナイスキー!という掛け声がある」、と言うのだ。何々?
バレーボールの試合で、「強烈なスパイクを決めて得点すること」をナイスキル(ナイスキーと発する)と呼ぶとのこと。「えー!」村長の半世紀以上前の記憶では、ネット際に鋭角的に決める強烈でブロック出来ない程のスパイクを「キル」と呼んでいた。それは、間違いだったのか?
あやふやな記憶ではありますが、サッカーの「サドンデス(突然死=Vゴール)」と同じく、キル(殺人)のイメージ払拭のために使用を禁じた。と覚えていたのだ。
そのうち、野球の「ボールデッド」や「デッドボール」も禁止用語になるのかも?
昨夜大きな物音に驚き目を開けると、棚の上の目覚まし時計が床に落ちているではないか。地震だ!すぐにTVをつける。震源は福島、宮城らしい。11年前のあの記憶がよみがえる。しかし、数十秒で揺れは収まり。報道でも津波の心配はナシ、原発も異常なし、ということで寝床に戻った。
森喜朗五輪組織委員長の発言が、謝罪と撤回しても許されず、辞任してもバッシングの嵐。村長には、日米開戦前の異常な集団心理に重なって見える。ボランティアを辞退する人、聖火ランナーを辞めると言い出す人、しまいにはアスリートからも批判が。
確か東京五輪2020の大きな旗は、東日本の復興、ではなかったか?まあ、そんなの建前だ!と言われればそれまでですが、何%かは、その理念のもと五輪を成功させようではなかたか。東日本の復興を再び、との合言葉はどこへいってしまったのか?その程度のボランティア、聖火ランナー、アスリートなんだろうな。
少年だった村長の記憶に残っているのは、東京五輪1964で見た閉会式の光景でしょう。そもそも閉会式まで選手たちが残っているのが珍しいことで、旗手と少数の大会役員による閉会式が一般的でした。そんな厳粛さを想像しておりましたが、目に飛び込んできたのは、何千人もの選手・役員が入り混じっての狂喜乱舞(ちょっとオーバー?冬ということで)だったのです。「和」の精神をそこに見つけた日であります。
歴史は繰り返す、とはよく聞く言葉です。しかし、繰り返してほしくない事は沢山あります。そして、あのイビチャ・オシム氏の言葉を思い出さずにはいられません。「新聞は戦争を始めることができる」
大相撲初場所は、開幕前から新型コロナの陽性者が相次ぐなど波乱の中、埼玉県出身者としては初となる前頭筆頭の大栄翔勇人(27)が初優勝しました。大物のいない場所とは言え、見事な取りっぷりでした。現役の大学生というのも驚きです。
そんな中、時津風親方(元前頭時津海)がやらかしちゃいました。というより、また問題を起こした、と言った方がよいのでしょうか?相撲界でも不要不急の外出は控えるよう、通達がでているのに毎夜どこかへ出かけているという。文春砲によると、雀荘・風俗店・会食に不倫などなど。記事では、「不要不急外出の宝石箱やー」だそうです。
本人はズケーっと退職願を出したそうですが、相撲協会では除名(退職金などだせるか!キリ!)とするそうです。そういえば、懲りない芸能人、国民の規範とは成りえない上級国民もおりましたね。野党は、といえば、モリ・カケ・サクラに続き、モリPartⅡ を始めるみたいですし・・・