実はフィギュアスケートやシンクロナイズドスイミングのような採点競技は滅多に見ない村長ですが、先ほど終わったピョンチャン五輪の男子フィギュアスケートフリーは興奮しましたね。三か月前の怪我から見事復帰して二連覇を成し遂げた羽生結弦選手。最初のジャンプで尻餅をつきながら圧巻の演技で二位に食い込んだ宇野昌磨選手。五輪では初となるメダルを手にしたスペインの強豪、フェルナンデス選手(26)。見事な1・2フィニッシュでした。
これに思わず涙したのは、今日一日ズーッとTVの前でミカンをかじりながら日本勢を応援していた妻でした。村長は・・・ 勿論感動はしましたが、そこまで(涙)はねぇ・・・
村長が涙したのは、その後見た「世界ナゼそこに?日本人」というテレ東の番組のエピソード。実は、青森では放送日が何週か遅れて放送されます。その中で最後に紹介されたのが、「旧ソ連の秘境・ウズベキスタンで現地の人々の命を救った457人の名もなき日本人」というエピソード。
これは、タシュケントの「ナヴォイ劇場」の話だろう、とはすぐに分かった。457人という数字は初めて聞いたが、「もう一度サクラが見たい」を合言葉に日本人の真面目さと不屈の精神力、恥を晒したくないという気概を持った数百人の捕虜。ナヴォイ劇場が完成する2年間で約80名が亡くなったが、最終的に残った457人の捕虜が脚光を浴びるのは、それから20年後の1966年だった。
100年に一度と言われる大地震が首都タシュケントを襲う。殆どの建物が崩壊する中市民が見たのは、無傷で聳え立つ劇場だった。そこに避難した、何万人もの市民の命を救ったのだ。1991年独立したウズベキスタン共和国の初代大統領は、劇場のプレートに書かれていた「この建物は日本人捕虜が建てたものである」という言葉を5年後書き換えた。捕虜という語が消えたのだ。大統領は、「彼らは恩人である。けして捕虜と書くな」と命じたという。
タシュケントには現地で散った日本人の墓がある。ソ連は「捕虜に墓などいらない、取り壊せ」と命じたがウズベキスタンは拒否した。1996年、日本から1000本以上のサクラの木と弱酸性土が運ばれた。毎年春になるとタシュケントの日本人墓地や中央公園は、70年前数百人の抑留者が夢にまで見たサクラで満開になるという。
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