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雑草の詩

草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です

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弘前署員、お手柄!!

先月末にコンビニ強盗一件。今月に入って3日には強盗未遂事件。隣の弘前市で連続して起きた刃物男によるコンビに強盗は、4日未明にあっけない幕切れを迎えた。
 3日の未遂事件を受け弘前警察署員が4日の未明警邏中に不審者を発見。前日の犯行と同じ色のつなぎを着ていたので職務質問をしたのだそうだ。すると男が持っていたカバンから白いマスクや包丁が出てきたため弘前署に連行して事情聴取。男は一連の犯行を認め、逮捕と相成った。
 昨日のTVニュースでは、3日の未遂事件に終わったコンビニの店長の話が紹介されておりました。店長は、刃物で脅されたにも関わらず犯人を説得。結局犯人は何も盗らずに逃走したそうだ。
 数日前には、東日本大震災で被害を受けた八戸の友人から「今冬は、雪が多く、ガソリンや灯油の消費量も多いし、価格が高くて大変だが頑張っている」、と電話があった。弘前の男は、家族もあり職もあったそうだが、いい歳をした(52歳)が何故強盗に走ったのか、はなはだ疑問だ。
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ウクライナ危機、遥かなるアラモ

 「遥かなるアラモ」といえば、村長の人生に大きな影響を与えた映画、「アラモ(ジョン・ウェインの)」の主題歌の一つとしても有名である。原題は、「The Green Leaves Of Summer(夏の緑の葉)」というウクライナ民謡だ。
 そのウクライナでクーデター?が起きた。現大統領は失踪。ロシアのプーチン大統領は軍事介入も辞さない態度も見せている。当然、NATOはその動きをけん制し、EU寄りの新政権の誕生を支持している。
 かつては(今もかも?)ヨーロッパの穀倉地帯と呼ばれ、肥沃な大地が広がることからあの民謡が生まれました。映画「アラモ」の主人公は軍人ではありません。約200人の義勇兵の多くは、農民や猟師でした。Go West の掛け声の下、アメリカの西部を開拓したのも農民たちでした。そこでD.ティオムキンは「夏の緑の葉」という曲を選んだのでしょう。
 ♪ Now The Green Leaves Of Summer Are Calling Me Home ♪
という最後の文句は、一度聞いたら一生耳に残る内容と旋律です。
 ウクライナ危機を聞くと、この美しい歌詞、旋律を持った「夏の緑の葉」の生まれた背景が想像できます。ほかの地域と同じでこの地でも戦乱が絶えなかったのでしょう。故郷を離れて戦争に出かけた若者が、故郷を、夏の緑の葉を、懐かしんで歌ったのだと思います。

東京に大雪!

 現在はどうなのか定かではありませんが、村長が諏訪に住んでいたころ山梨県は冬季のチェーン規制はなかった。県境の富士見町に住んでいた親戚のおじさんは冗談交じりで言っていたものだ。「冬場の富士見町でチェーンやスパイクタイヤを履いていなくてパトカーに追いかけられたら、山梨県に逃げちゃえばいい。」なーんてネ。
 先週、その山梨県甲府で積雪が110cmを記録したそうである。なんでも120年ぶりのことだとか。そして、諏訪ICや群馬県のいたる箇所で通行止めになったり、東京の奥多摩などで村落が孤立している。その分津軽に降る量が減っているので、こちらとしては有難いのだが、屋根の崩落やスリップによる交通事故などで死者も出ていることを考えれば、やはり雪は豪雪地帯に降るのが良さそうだ。金木の「地吹雪ツアー」や岩木山麓で行われる「豪雪祭り」などに影響が出ているそうだ。
 そんな日曜日、東京の次女から電話が入った。「電車は込むし、雪道を歩くのはいやだったけど、用事があって新橋に行った。何やらテレビ局の人が、足元がおぼつかない通行人をつかまえてインタビューをしている。運悪く滑ってこけたりしたものなら、どこの出身ですか?などと聞かれかねない。しばらく様子を見て、なんとかインタビューから逃れて事なきを得た。」
 次女がさらに続けて、「もしインタビュアーに捕まったら、長野県生まれです」と答えるつもりだったそうです。まあ、3歳まで岡谷市にいたからウソではありませんが・・・口が裂けても「津軽の出身です」とは言えなかったのでしょうね。

重すぎるメダル

 久々にソチを覗くと、メダルラッシュ?が起きていた。男子フィギアでは19歳の羽生選手が、そして純ジャンプではレジェンド葛西紀明選手が個人で。さらには団体でも銅と一人で二個獲得した。伝説の男はチームメイトを思って男泣き。あの長野での原田選手を思い浮かべるシーンでした。
 さて、例によってワイドショーではメダリストのビハインドストーリーを連日報じております。村長は、過度のお涙頂戴には大反対(見なきゃいいじゃん)ですが、東日本大震災を乗り越えた羽生選手、120万人に一人と言われる難病を抱えながら大ジャンプを見せた竹内拓選手、膝を痛めながら必死で飛んだ伊東選手など、ビハインドストーリーも重いメダル秘話でした。いや、まだまだ出てくる予感も。
 竹内選手は、試合が終わるまで話すつもりは無かったけど、同じ病を抱える人の励みになれば、との思いで告白したそうです。もうジャンプを止めようとおもったこともあったそうですね。これは、東日本大震災直後に自分だけ好きなスケートをしていていいのか?と競技続行を断念しようと思った羽生選手に通ずるものがあります。
 村長が一番感動したのは、最後のジャンパー葛西選手が飛び終えた後、ほかの三人が駆け寄り抱き合って健闘を称えあったこと。普通は順位が気になって、「電光掲示板を見る」-「銅メダル獲得を確認」-「歓喜の輪」-「涙のインタビュー」という流れだろう。しかし、あの四人には順位確認よりも「全力を出し切ったこと」の一体感・安堵感から、自然と喜び跳ねたのだろう。
 忘れてならないのは、メダルを取れなかった選手にもビハインドストーリーはあるということだ。

こういう放送事故なら・・・

 ノーマルヒル・スキージャンプと10キロの距離で争うノルディック複合渡部選手が銀メダルを獲得した。キングオブスキー、兄弟、と言えば浮かぶのはあの双子、荻原兄弟だろう。しかし、ソチでまず名前を上げたのは、渡部兄弟の兄暁斗(わたべ あきと)選手だ。同じく代表に選ばれている、弟の善斗(よしと)選手と共に渡部兄弟の活躍に注目だ。
 渡部選手がスキーに目覚めたのは、長野五輪の時だった。まだ9歳だったが地元白馬村で日本人選手の活躍を見てジャンプを始めたという。インタビューでも「先輩たちが積み上げてきたものに感謝します」と、コメントもキング級でした。
 面白かったのは、テレ東の番組で解説者として番組に出ていた荻原次晴氏が号泣、嗚咽
 
これには村長も思わず、もらい泣きしてしまいました。かつては日本のお家芸だった競技だったが、ルール変更などもあり20年間メダルから遠のいていた。選手への企業の取り組み(スポンサー)も低下するなか、荻原氏は自費で選手を支援してきた経緯もあって、感極まったのだろう。
 「放送事故級の号泣!」などとスポーツ紙は報じているが、このような事故なら大歓迎だ。それにしても、冬の五輪は不勉強のせいか、今日までの日本人メダリスト三名は名前も知らなかった(汗)。

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