草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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甲子園球場での試合前練習で
ドローンを飛ばした阪神
ゴメス選手についてコメントした
原監督。そのニュースを知らなかったとしながら、うちでは考えられない、と述べた。そして、マイコラス投手の来週復帰を念頭に、「V4に向けて
上位二球団と比べると数字上分は悪いが好材料もある」と決を表した。
え、上位二球団???恐らく首位
阪神と二位
ヤクルトのことでしょうが、3ゲーム差の4位
広島を忘れてませんか?残り試合が6試合多い広島と3ゲーム差、って
実質差が無いことですよ。だから自力優勝が消滅しているんです(広島が全部勝てば巨人を上回る)。上ばかりじゃなく下にも注意していないと、まさに
足元をすくわれますよ。
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すったもんだの末、五輪組織委は一旦決定した佐野氏のデザインを撤回し一般公募し直すと発表した。なにっ!次点が繰り上げ当選にはならないんだ!と、素人的には思ってしまうのですが。「二位ではダメ」なんですね。再度時間とカネをかけて審査するんですね。なんと暇と金が有り余っている組織なんでしょう?
絵心が無い村長としましては、最初にあのデザインを見たとき「なんだこりゃ」と感じました。1964年のときには「戦争から奇跡的な速さで復興した日本」をアピールすべく、日の丸が大きく描かれていました。今回のものは東京(TOKYO)の「T」を大きく、日の丸はドット程度の大きさでした。さすがに原案では似ている意匠が多すぎたのか、二回も手直しを佐野氏に申し入れたと聞く。なんだそりゃ!原案が一位になったのでしょう?手直しをしたのならば、再審査(一般公開)しなければ応募して落選したデザイナーたちは納得しませんよね。
だから、佐野氏ありきの審査、などと言われるんです。原案がなんらかの事情で不都合があったなら、そのデザインはナシです。村長がデザイナーだったら、「ふざけんな!」です。必死で考えたデザインにケチをつけられたんですから。佐野氏も「盗作ではないオリジナルだ」と言うのなら、原案で押し切るべきでしたね。ベルギーの劇場から提訴されようが。
ただ、オリンピックという一国だけの問題ではないので今回は再募集にしたのでしょう。もし、裁判が長引き泥沼化したり、敗訴した場合の東京(日本)のダメージを考えると当然の決断と言えるでしょう。遅きに失したという感じは否めませんが。
「来た、見た、勝った」は、シーザーの言葉でしたが、「来た、見た、取った」とは?
8月25日の夜。中国の鉱石採掘場近くで、作業員がトラックから鉱石を積み替える際大量に路上にこぼして去ってしまった。翌朝、朝日を浴びて路上に光る粒状物が発見されると近所の人が群れてきた。ソレは朝日を浴びピカピカと光っていた。「砂金かも?」という噂は瞬く間に広がり、大勢の老若男女が交差点に集まってきた。小さな粒を拾い持っていた紙などに挟み込む。近所の家から箒と塵取りを借りてくる人も。
警官の、「それは砂金ではありません」という声にも、立ち退かせようとウソを言っているのだ。と一向に作業をやめなかったという。中には、昼食のために一旦現場を去り、再び参加するものも。結局午後2時ころまで騒動は続いた。
さて、その粒状鉱物の正体は?1kg集めても数円程度の黄鉄鉱の破片だった。この黄鉄鉱、見た目は金に近いことから、「愚か者の金」と呼ばれているそうである。
中国では以前にも、横転したトラックから落ちた牛乳パックにも人々が群がり、持ち去る事件。生きたニワトリを1000羽プレゼントするというイベントでは、並ぶこともせず我先にと奪い合い。川で魚が大量死、という報道に「食べられる」と人々が殺到。運搬車の荷台からこぼれ落ちた「カニ」の場合には、わずか数分間で無くなったそうである。まさに「来た、見た、取った」状態!中国、恐るべし?
「末は博士か大臣か」、なんて親戚のおじさんなんかに言われた人も多いと思う。村長のおじさんにも一人そのようなことを言う人がいた。会うたびに酒焼けした顔と大きな声でソレを言う。高校生になった時にも押しかけてきて、「そうか、○○高校に入ったか。政治家になれ!」。耳たこと感じていた村長は、「政治家はウソばかりだから嫌いだ!」と言った記憶があります。ちなみに、そのオジサン(正確には父の叔父さん)は数十年後に地方の町の町長になったとさ。
政治家が国益のためにウソをつくのは洋の東西を問わないが、歴史問題(戦争問題)となるとウソでは済まない。
「歴史リセット」とでも言うべき思想がある。ある戦争が終わると当事国でプロパガンダ合戦が始まる。すると負けたとされる方は「次の戦争で勝って、自分の主張(プロパガンダ)を認めさせる」と思うからだ。
そういう「報復の連鎖」を断ち切るのが、条約である。村長は、この世から戦争をなくすための絶対条件は「条約を守る」ことだと思っている。条約が結ばれた時点で、その戦争はノーサイドである。双方に不満は残ることもあるだろうがそれを持ち出したらキリがない。そういう意味で言わせて貰えば、村山談話、河野談話そして安倍談話、すべて無意味だ。「報復の連鎖」を蒸し返すことになるからだ。
参議院で審議中の安保法案に関連して、山本太郎議員が総理に「アメリカの原爆投下や東京空襲は戦争犯罪では?」となんとも場違いな質問を投げかけたそうだ。まあパフォーマンス的には面白いが、反米思想がみえみえ中尾ミエ。まさかアメリカに謝罪と賠償を、なんて約束違反をする気じゃないでしょうね。
ところで、戦後日本は韓国、中国と仲直りをしました。決着を付けたわけです。が、韓国(旧日本)は中国と仲直り(条約等)したのでしょうか?韓国(旧日本)はWW2の枢軸国側のはずですが、パク大統領は9月3日に中国で行われる対日戦勝記念式典に参加を決めました。訳わかんねえ!戦勝国は中華民国だし!まあ、当時の敵でも戦後70年、お互い水に流して・・・なんて訳ねえな。朝鮮戦争でも敵味方だったし、今でも休戦中だと認識してます。
小学校の3年生の夏、村長少年は遊び友達のR君と「トンボ釣り」に近所の林に行った。二人が通う小学校への通学路に近い、森というより林の中だったが、その日は少し奥に入ってしまった。夕方になり辺りが暗くなりかけたので「帰ろうか」と来た道を戻ろうとした。しかし、元々道らしい道は無いような林の中で、蝶やトンボを捕まえるのに夢中でかなり道から離れてしまったらしい。二人は直ぐに「これはやばい」と顔を見合わせた。
夏だったので「寒い」ということはなかったが、薄暗い林の中では方向感覚が全く無くなっていた。家の方角が分からないまま道らしき道を歩いていると、日はすっかり暮れて真っ暗闇に。
二人で「おーい」とか「誰かー」などと叫んでいると遠くから「どこだー」と声が聞こえる。泣き出しそうな二人の迷子は声の方に向かって大声を上げる。懐中電灯の明りが見えたときは二人で顔を見合わせ、かすかに笑みがこぼれた。その捜索隊が来るまでの数分間は数時間にも感じられた。
町の消防団の男の人に連行された二人は数十人の前で頭を下げた。もちろん親からは大目玉も。ポケベルや携帯が普及し、監視カメラがあちこちにある現代では考えられないことだろうが、昭和30年ころのド田舎では「神隠し」や「誘拐」なども考えられ、母親が町会長に訴え、そこから消防団に連絡が行き捜索隊が結成された。幸い捜索範囲が狭かったことから警察沙汰にはならずに済んだが、普段よくいく場所でも日が暮れると迷うことを悟った。
大阪の寝屋川市で、中学生の男女が殺害されるという事件が起きた。容疑者は逮捕されたが、なんで男女中学生が真夜中に・・と感じた村長です。都会は怖い!