草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
[
104]
[
105]
[
106]
[
107]
[
108]
[
109]
[
110]
[
111]
[
112]
[
113]
[
114]
×[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
次女が住む東京の集合住宅付近で白昼火災があったそうだ。娘の住む階は10階なので住宅が燃える様子、消火活動などがよく見えたとのこと。昼の火災は珍しい、と思い詳しく聞くと窃盗に入った犯人が物色したあと放火して逃走したらしい。
今日ニュースを探すと、「環七近くの連続火災 盗みで侵入放火か」というNHKニュースの記事を発見。午後の留守宅を狙った窃盗犯が何故放火したのか?疑問が残るが、テレビドラマの刑事物では「窃盗犯には棲み分けというものがあり、盗みはすれど非道はせず」とベテランの刑事がつぶやくシーンをよく見かける。最近の窃盗犯には、そんな仁義?みたいなものは無いのだろうか?
いずれにせよ、早い解決を望む。そういえば、学生時代は環七沿いに住んでいたなあ。中野区、阿佐ヶ谷といずれも環七に近かった。40年以上前のことですが、当時の下宿で同じ釜の飯を食った友の顔を思い出した村長でした。PR
お彼岸の中日、お墓に積もっていた雪を片付けて墓参りを済ませたころ、小粒の雨が落ち始める。天気予報を聞いていると「20日の夜から21日にかけて雪、強風、雷」といった言葉が聞かれる。やれやれ、やっと積雪量が50cmを切ったというのに、一日で冬に逆戻りだ。
「雨返し(あまがえし)」という言葉がある。建築関係で使う「雨返し」は全国区で使われていますが、ここ津軽では別の意味でも使われます。
昨日のように寒冷前線が通り過ぎるときに起こる現象らしいのですが、雨模様の天気が雪に変わることを「雨返し」と呼んでいます。本来雪が降ってもおかしくない天気なのに雨が降っている。これは「きっと雪の仕返しがあるぞ!」という津軽人の生活の知恵だったのでしょう。
そうそう、「雨返し」を歌った有名な歌があります??!?? 山下達郎の「クリスマス・イヴ」
♪ 雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう ・・・ ♪
ちょっと ちがうか。
月曜日、日本時間朝10時少し過ぎWBCサンフランシスコラウンド準決勝対プエルトリコ戦が始まった。その始球式に第一回大会の優勝監督、王さんと並んで二回大会の優勝監督原監督が登場。ベンチで見つめる山本監督も、俺もあの二人の仲間に入りたいなあ!と思ったことでしょう。
試合はジャパン打線が、あの王建民(台湾)のようなツウシームを駆使するプエルトリコ投手陣に7回までゼロ行進。3-0のまま8回裏の攻撃を迎える。一死後一番鳥谷が三塁打で出る。すかさず井端がタイムリー安打、三番内川も右へ打って一死一二塁という絶好の反撃機を迎える。
打者は不調とはいえジャパンの4番阿部。ここで、一塁コーチの緒方が二塁走者の井端に何か耳打ち。誰もが、「三塁を狙え」と言ったのだと感じ取ったことでしょう(笑)。
そして、問題の場面が。二走井端と一走内川の重盗。いや内川だけが走ってしまった。
結局阿部の一二塁間への強いゴロも再三好守備を見せる二塁手に阻まれ、チェンジに。終わってみれば、これが最後の抵抗となり、ジャパンは敗退。三連覇の夢は消えた。
結果論でものを言ってはいけないが、あそこは4番阿部に任せる場面だったのでは?と思ってしまう村長です。併殺体勢を敷いていた一死一二塁だったら、阿部の打球は100%抜けていたから・・・ と、「たられば」で言ってしまったが、報道によると山本監督の指示は「行ってもいい」だとか。そりゃあナイだろう。相手の投手はモーションが大きいとしても、捕手のモリーナは全米一の強肩。「ジスボール(次の投球で行け)ならば走れるが、「行ってもいい」はいかにベテランでも躊躇するだろう。ましてや一走内川にしてみれば、「もしかしたら一点やっても、より確実に二塁に投げてくるかも?」との思いが暴走?に繋がったのでは、と草野球の捕手は感じました。
もう一つ「たられば」で言うならば、あの奇策が成功して同点または逆転になっていたら、山本監督は名将と評されていたでしょう。それだけベンチも攻撃する野手も焦っていたのかもしれません。
でも、二連覇した実績が消えるわけではありません。メジャー抜きの純ジャパンがあそこまでやれたのは褒められてもいいと思います。下馬評では一次リーグで敗退などとかかれてましたし。ただ持っている人がいなかっただけですから。
恐らく、この事実を中学の同級生は知らないと思う。
中学校に入学して野球部員に選ばれ、ほぼ一年が過ぎようとしていた3月初め。利き腕の右手に大火傷を負ってしまった。
当時住んでいた諏訪市は温泉街として知られ、全国でも珍しい水道ならぬ湯道が市内にめぐらされていました。組合員は独特の形をしたカギで湯道の蛇口を捻りお湯を汲むのです。20リットルのブリキのバケツを二つ、天秤棒でバランスをとりながら家までの300m位を毎朝一往復するのが村長の日課でした。
その日もいつものようにお湯を汲むと天秤棒に弦を通してエッサエッサと家を目指しておりました。あと数メートルで玄関というところで水溜りに残っていた雨水が凍っていたのでしょう。少しツルッと足を滑らせて転倒してしまったのです。このとき右腕に20リットル弱のお湯がモロにかかってしまったのです。
すぐに近所の外科医に行ったのですが診断は全治2週間。幸いなことに学校は休まなかったし、三角帯で右手を吊った痛ましい姿は多分クラスメイトには見られなかったと思います。中学2年の始業日には何事もなかったように登校しました。そしてまた野球部にも入ろうと(選抜されようと)キャッチボールをF君と始めたのです。
不幸はこのキャッチボールの最中起きました。二週間なにも動かさずにいた右腕の筋力が落ちていたのでしょう。無理して遠投をしていたとき右肘に激痛が走ったのです。結局この年は野球部入部を断念せざるを得ませんでした。
ちなみに、どうしても野球部に入りたい一心でF君に捕手をお願いして、左投げを練習しましたがダメでした。そりゃそうだ、数ヶ月間でボール投げ50mまでは伸びたし、暴投も10球に一回くらいになってはいましたが、野球部に入るには程遠い能力ですから。
PS.三年生になり晴れて野球部員に選ばれました(F君は野球部の記録係に)。今思うと、控えではありましたが下手投げの投手になったのはあの時の火傷が影響したのかも知れませんね。
左図は3.11記念のストーブ。
これが村長と妻の命を救った、と言ったら大袈裟かもしれない。しかし、二年前のあの夜。真っ暗な寒い部屋で一つの湯たんぽに足を4本乗っけて一夜を明かすはずだったところへ来たお向かいの奥さんからの心温まるプレゼントは、まさに救いの神。
えっ!何で湯たんぽのお湯を沸かしたか?
答えは携帯ガスボンベ。でも一本しか在庫が無く、電気が回復するまではコレでカップ麺や湯たんぽ用のお湯を沸かさなければならない。
お向かいさんは建築関係の仕事をしているので現場用の石油ストーブが何台か物置にしまってあったのだそうだ。何年も前のポンコツだそうで、使えそうなのは二台だけ。その貴重な一台を貸してくれた、いや、くれたのだ。
早速ハンドルを回し芯を上昇させて直接マッチで点火。さすがに現場用だけあって、この手のストーブは早く燃焼モードに入る。と思ったら、安全装置が作動してパタンという音とともに火が消えてしまうではないか。何度やってもすぐに消えてしまう。
底をひっくり返して原因が判明する。芯を出すハンドルと安全装置の接点にある爪のような金具が磨耗していて直ぐに外れてしまうのだ。そこで懐中電灯を手にマイ工具部屋、通称ガラクタ部屋へ。目的はヤスリ。三角ヤスリで金具を削り、引っ掛かりを大きくして点火。
約二時間の苦闘の末、やっと夜中の11時ころ年代もののストーブは燃焼を始めた。※もちろんドアを少しあけておくことも忘れませんでした。
このストーブは以降、隣の洋間で待機中であります。