雑草の詩
草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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2024/11/21 18:05
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マイアミビーチ・ジルバ、イブのダンパ
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2009/12/24 13:28
1977
年のクリスマス・イブ、ある
ダンスパーティー
の会場に
村長
はいました。と言っても、ダンスに関しては
「フラワー・オンザ・ウォール」
でして、友人に頼まれて生バンドの
リードギター
(エレキ)として参加していたのです。
勤労青少年ホーム(
勤青ホーム
)という若者の交流場の文化祭などで演奏活動をしていた
「かっきーず」
というバンドの
助っ人
として何回かは参加しておりました。当時はカラオケなどありません。文化祭の催しで
「のど自慢大会」
の
伴奏
が主な仕事でした。何故、1977年かと言いますと、この年、
狩人
という兄弟デュオが歌い大ヒットした、
「あずさ2号」
が信州の街角に溢れておりました。この曲をレパートリーに入れたいという女子高生の
マンドリン二人
と
「かっきーず」四人
の要請で参加したのが最初でした。
<風の噂では、この時の女子高生の一人は「かっきーず」のバンマス(サイドギター)と夫婦になったとか>
この年の秋口、
勤青ホーム
から
「クリスマス・ダンスパーティー」
で生演奏をしてくれ、との話があり、
何曲
か練習することとなりました。しかし、
エレキギターのメロ
だけではレパートリーに幅がありません。そこで、知人の
サックス奏者
を加えることに成功します。新たにレパートリーになったのは、カトちゃんのギャグでも有名な
「タブー」
、
「マイアミビーチ・ルンバ」
、
「アフリカの星のボレロ」
。「マイアミ・・」は
ザビア・クガート楽団
の持ち曲で、ザビア・クガートは、
「ルンバの王様」
と呼ばれ、
「X」
から始まる珍しい名前の人でも有名です。
Xavier Cugat
さて、
クリスマス・ダンパ
は盛り上がって、参加者からのリクエストだ、と言って「ルンバ」、「ワルツ」、「ジルバ」などの
指示
まで出されます。
実は
「ジルバ」
といった速いテンポの曲は、
「ジングルベル」
しか用意してありません。何回もジルバのリクエストがくるので
バンマス
も考えたのでしょう。
「よし、マイアミをジルバでやろう」
。
結果は
火を見るよりも明らか
。途中で
サックスが脱落
。必死で
カウベル
を叩いている
ドラムの彼
もへとへと。約
2分で見事にTKO
と相成りました。
「すみません。明日はジルバの曲を増やして参りますので・・・」
と、謝罪する
バンマス
。
翌日、一夜漬けの
「ライダーズ・インザ・スカイ(シャドウズ)」
と
「シンディグ(シャドウズ)」
をレパートリーに加えて、無事
初のダンパ
を乗り切ったのでした。なんだ、単に
エレキのナンバーを加えただけじゃん?
ちなみに、
「かっきーず」
の意味は、
「(恥)かっきーず」
なんだそうです。
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クラリネットの思い出
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2009/11/22 17:22
ある
楽器
を聞いて、ある
楽曲を連想
することは多い。
ガットギター
なら
「禁じられた遊び」
、
サックス
なら
「タブー」
、
トランペット
は
「真夜中のブルース」
など。そして
クラリネット
といえば、
「ラプソディー・イン・ブルー」
ではないでしょうか。独断と偏見?
---- 閑話休題 ----
1959年
(昭和34年)青森市のキャバレー
「ニューサロン」
で専属バンドのリーダーとして働いていた
鶴ヶ谷嘉宏
というクラリネット奏者がいました。
コピー機
など無い時代。
団員の楽譜
を一枚一枚
手で書く作業
は大変であったと思います。
「温度計を入れていた棒状の木のケースを転がしながら、一本一本、五線紙の線を引いていた。その間隔が全然ずれない。なんでこんなに正確に線が引けるんだろうといつも思いながらみていた」
、と語るのは
長女の公子
さん。
「机に向かう前、彼はいつものようにクラリネットを取り出すと、決まったある曲を吹いてその日の音を確かめていた。」
は、
次女恵子
さんの記憶。その曲が
「ラプソディー・イン・ブルー」
だったのだそうです。
村長
が高校三年の時、
クラリネット担当のO君
と
ドラムスのK君
の三人でバンドを組もうと語り合ったことがありました。
ギター、機械笛、太鼓
で何をやろうとしたのかは、未だに謎のままですが(
笑
)。その
機械笛のO君
にリクエストした曲が
、「ラプソディー・イン・ブルー」
でした。
導入部
だけでもいいから、とせがみましたが結局吹いてはくれませんでした。自信がなかったのかな?
尚、この
変わったトリオ
は
「話合い」だけで
終わり、
一回も音を出さないまま自然消滅
してしまいました(
悲
)。
紅白歌合戦の思い出、森繁久弥さん
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2009/11/11 01:28
紅白歌合戦
を見なくなって数十年になる。家にテレビが来た頃は、家族揃って
「すき焼き」
を囲み、紅白を見ることが
大晦日の楽しみ
だった。
お目当ては、ダーク・ダックス、ボニー・ジャックス、そしてデューク・エイセス。特にお気に入りはデューク・エイセス。
そんな時代の
紅白の思い出
の一つは、
森繁久弥
さんとギターの
アントニオ古賀
さんのコラボによる、
「フラメンコかぽーれ」
という曲。古賀氏のフラメンコギター伴奏に乗せて、森繁氏が独特の節回しで歌いだす。
♪ あれは 紀の国 みかん船 ♪
江戸時代の紀州の商人「
紀伊国屋文左衛門
」を唄った「
かっぽれ
」である。元唄は聴いた事はないのだが、
森繁氏と古賀氏の絶妙な掛け合い
に聞き入ってしまった。
舞台や映画、テレビドラマにおける
俳優
活動と共に
シンガーソングライター
としても知られており、
「オホーツクの船唄」
は
「知床旅情」
として、今も歌われている名曲です。
そんな名優、歌手の
森繁久弥
氏が
天寿を全う
しました。
96歳
、まさに
大往生
といえるでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
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