3.11が近づくと必ずあの年の3.11は・・・と比較してしまう。直接の被害は無かった青森市内でも、避難指示は初のことだった。歩行障害に陥っていた妻は、「歩けない」。とのことで、2,3キロ先の小学校への非難は却下。幸いにもプロパンガスは使用可能、水道は止まっていないので一個の湯たんぽにお湯を入れ、猫を真ん中に毛布と布団にくるまって夜を明かした。飼い始めたばかりの猫も、もう8歳。もそもそと徘徊していたあいつが、今や家中駆け回っている。
昨日、市内の積雪がゼロになったそうである。例年よりだいぶ早い積雪ゼロに、あの年は数十センチ残っていたなあ。と思い出す。この積雪量も避難を断念した理由の一つだった。体力だけは自信があるとはいえ、大人一人を背負って数キロを歩くのは大変である。ましてや田舎の雪道(農道)をだ。
そんな記憶は、妻も感じていたのだろう。二三日前には部屋のタンスの上に横にしてあった古いPCモニター(アナログの15インチディスプレイ)が、昨夜寝るときに無くなっているのに気付いた。今朝妻に、「タンスの上のアレどうした?」と聞くと、「もし、地震が来たら滑って落っこちそうだったから、納戸にしまった」と返ってきた。まだまだあの日の影響は消えてはいないな!、と感じた3.11でした。
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