草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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高校野球の北海道小樽地区の秋季予選で珍事が起こった。双葉高校の野球部員は一年生5人のみ。そこで夏期は暇なスキー部などから4名を補充して大会に臨んだ。その変な助っ人の中には「帰宅部」の人も。彼は、「バットがないので木の棒を振って練習した」とか。村長は7,8歳のとき、稲刈り後のたんぼで遊んだ三角ベースを思い出して涙がこぼれそうになりました。
地区大会のルールでは野球部員は9人いなくてもOKなのですね。知らなかった。その「にわか野球部」が3戦連続コールド勝ち、という快進撃。決勝では名門北照にコールド負けは喫したものの準優勝は立派!
可哀そうなのは、負けたチーム。まさか!といった気分でしょうね。コレを聞いて思い出すのは二十年ほど前に経験した、村長の草野球史のベスト3に入るであろう試合での出来事。
その試合は市内の問屋町の会社数十社が参加して行われた大会の二回戦だった。相手はビシッとかっこいいユニフォームで、練習もよく声が出ている優勝候補。一方村長チームといえば、新チーム結成間もない部員も丁度9人という素人軍団。もちろんユニフォームなど無く、エースで4番のC君頼みのチーム。少ない点数を彼の右腕で守りきりなんとか勝ちにもっていくパターン。初戦もC君のホームランによる1点を守りきっての勝利だった。打線は1番を打つS君だけが野球経験者。3番の村長、4番C君で点を取る作戦だ(それしかない)。
ところが流石強豪。相手投手に手も足も出ない。シュートが武器のC君もヒットは打たれるが、味方エラーによる1点に抑えて1-0でいよいよ最終7回の裏を迎える。一番からの攻撃もすでに二死。ここで村長が右中間を破る二塁打で出る。打席にはC君が。文字通り最後のチャンスだ。すると一試合目でC君がホームランを打っているのを相手監督は知っていたのだろう。マウンド上の投手に歩み寄ると何事か話しかける。
ここは、逆転の走者を出す危険はあるが打ちとれそうな5番打者と勝負するか、4便と真っ向勝負かの二択しかない。相手の選んだ結果は・・・・・くさい処を攻めて四球やむなし、だった。
この選択は相手投手の制球力がいいから有り得るが、素人には変わりない。2ボールからの三球目は内角低めへのストライクっぽい球だ。C君はこれを見事にレフトオーバーのさよならホームラン!
試合後、選手をベンチ前に整列させた相手の監督が大声で怒っている声が聞こえてきた。「なんでユニフォームもないようなチームに負けるんだ!」
ちなみに、この大会のエキシビジョンゲームとして行われた、大会運営チームと我が社チームの試合がベストゲーム。この試合の模様は後日にまわすとして、C君はこの試合でもホームランを打っていて、結果3試合連続ホームランという大当たりでした。我がチームはその後も2-0、3-2と接戦をものにし、双葉高校同様準優勝に輝いたのでした。PR
経済効果のお話。楽天が日本一になった効果は80億円だそうです。その数日後に来日したポール・マッカートニー氏の100億円には及ばなかったようですね。しかし、楽天市場の不手際、社長の対応のまずさが折角の優勝に水を差した形です。
さて、ポールといえば元ビートルズの一員ですが、村長の若かりし頃母と口論したことがあります。当時はエレキギター、ロックンロールは不良のあかし、などと的外れな議論があった時代。母はエレキには寛大ではありましたが、エルビス・プレスリー、ビートルズには眉をひそめてました。弟と「プリーズ・プリーズ・ミー」をハモっていても、いつもなら割り込んでくるのに無視。洋画という洋画はほとんど見に行くのに(特にミュージカル映画や音楽モノは100%)、「HELP!」,「ヤア!ヤア!ヤア」はスルー。別にロックが嫌いな訳では無いのですが、品性に欠ける、とか音楽性が幼稚、などのPTA的な評価を与えておりました。
分からないでもありませんが、パット・ブーンやビング・クロスビー、コーラスはミッチ・ミラーやアニタ・カーばかりじゃあ肩がこる時があるかも。たまには羽目をはずしてストレス発散の必要もあると思います。
当時最も好きでよく弾いていた(歌っていた)曲は「And I Love Her」でした。ポールの歌、ジョージのギターソロ。確かに歌もギターもうまくはないけど、彼らが残した曲の良さ、スタンダードになりそうな楽曲の数の多さは、ビートルズの前にビートルズなしビートルズの後にビートルズなし、でしょう。
ただ、いろんな理由があるにせよ。解散したらダメ。ビートルズのままでソロ活動はできるし、一度結成したグループが音楽性の問題で解散なんておかしい。やはりビートルズのポールだからいいのであって、恐らくポール本人も元ビートルズという肩書は嫌っているのでは?と想像する村長です。それにしても資産総額800億円を超えるというのに、S席が16,500円。闇では40万円の値もついているという。
中学の時だった。霧ヶ峰のロッジに一泊して「人口衛星を見る」という機会があった。教頭先生に引率された約20名の物好きな有志は、ゆっくりと上空を通過する衛星を観察した。夏だったと記憶するが、山の上は寒くて毛布にくるまりながら上を見上げた。宇宙が好き、というより何か面白そうという感じで参加した村長でした。
それから数年後、初のテレビ衛星中継を見ようと朝早くからTV受像機の前で待機する村長の姿がありました。←やはり、宇宙好きじゃん。
1963年11月23日の早朝に見た映像はショッキングなものとなりましたが、その後の事件を伝える映像に映っていた5歳の少女、キャロライン・ケネディさんが新駐日大使に任命されました。肉親、親戚に相次ぐ不幸からなのか、彼女に政治的、外交的な経験は無いという。それでも、広島を訪れたり新婚旅行を京都・奈良にするなどの親日ぶりがオバマ大統領に起用を決めさせたのでしょう。
新大使は就任前に異例のビデオメッセージを日本に送った。日本が重要なパートナーであること、日米の更なる絆を強固にすることなどを語っている。
丁度半世紀だ。あの愛くるしい5歳の少女も55歳。キャロラインという名前を聞いただけで、なにかしら懐かしさを感じる。
NHK-Eテレの「Rの法則」という番組の中で「黒歴史」という特集をやっていた。小中学生時代の誰にも話せない、話したくない恥ずかしい思い出を告白しあう、といった内容でした。
村長の数ある黒歴史中、最大級のものは「人生初デート」で間違いないでしょう。できることなら、直ぐにでも消し去りたい過去なのです。でも、思い切って恥を晒すこととします。
その事件は19歳の春、一浪して入った大学の最初のプレゼンテーションの日のこと。朝9時ころ指定された教室の机に座っていると、声をかけてくる人がいたのです。驚いて振り返るとその人が立っていたのです。学部は一緒ですが学科は異なるので、大学側が出身校が同じだと配慮したのでしょう。
その人は小学校の同級生でした。中学は別々でしたが高校は同じ。ただ、高校三年間一言も会話をした記憶はありません。なんせ、クラスが7つあるうちの両端のクラス(一組と七組)でしたから。高校卒業後はまったく別の道を進んでいると思っておりました。その運命の再会の日にお互いの話に弾んで分かったのですが、やはり一浪(駿河台予備校)してあの大学に合格したのでした。その人は、「すんだい(駿河台)」という大学から転校してきた」なんて面白くないギャグを言っていたのを覚えています。
一時間にも満たないプレゼンが終わり、どちらからともなく「食事する」と池袋に行くことに。しかし、まだ昼までには時間がありすぎることから映画でも見ようということになったのです。今思い返すと、その人から言い出したと思うのですが、映画の内容は全く覚えていませんがタイトルははっきりと脳に刻まれてます。ヨーロッパのどこかの国の映画で、「短くも美しく燃え」というバリバリの恋愛モノでした。
さて、どこが黒歴史かというと、その人、は男だったのです。映画館の観客は90%は女性。10%の男性は恐らくカップルだったと思います。なぜ、むさくるしい「男二人」があの映画を選択したのか、今度同級会で会った時F君に聞いてみようと思ってます。
昨日の昼前、ヤフーニュースを見ていて思わず噴き出してしまった。
と、その前に「注意」を一つ。今日の記事は汚い表現?いや汚いお話なのでお食事中には読まないこと!!
世の中には科学では解明出来ていない自然現象や謎の物体が多いと聞く。しかし、中国上海近辺で起きている「雲の子の雨」は住民にしたら笑いごとでは済まされない珍事だろう。なんでも洗濯物や車、時には通行人にも「雲の子」が降りかかるというのだ。
どうやら上空を通過する飛行機が原因とみられる。事態を重く見た空港側は調査を開始したそうだが、近隣住民にしてみれば「ふんまん」やるかたないでしょうね。