草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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村長の長女は介護支援センターに勤めている。昨年末のこと、入所者のおばあさんの話し声に「どこかで聞いたイントネーション」を感じ、どこの出身か訊ねたのだそうだ。おばあさんは青森の出身だが、若い頃長野県の諏訪市で暮らしていた、とのこと。
長女は「私も生まれは岡谷市で、祖父母は諏訪に住んでいました。私が生まれてすぐ、おじいちゃんが入院した時は日赤病院に毎日お見舞いに行ったのだそうです。」。すると、おばあちゃん「へえ、そうなの。私は諏訪の日赤病院で長い間働いていたんです。」。
そうなんです。村長の父-長女の祖父-が発病したのは長女が生まれてすぐのこと。手術担当医の「五分五分の確立ですね。後は本人の生への強い気持ちでしょう。」との言葉に初孫である長女を連れて毎日お見舞いに行っていたのです。退院後も毎土日曜日には祖父母の家にお泊りに行っていました。
長女の記憶の中は、生まれ育った岡谷より諏訪の祖父母の家(村長の家でもあった)が多くを占めていたのです。長女がこちらに来てから33年。三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、5年間暮らした諏訪地方の言葉を覚えていたのです。
昨夜は次女が東京に戻るというので長女と孫たちが夕食に来ました。テーブルには信州の味がいっぱい。岡谷の義兄からの「マグロの味噌漬け」と「塩いか」、伊那の親戚から届いた長いもを輪切りにして炒めたもの。しかし、娘たちは「信州の味」は全く記憶に無いそうである。PR
31日の朝、「お年とり」に東京の次女が帰青した。前日の夜までの雪また雪の荒れ模様がウソのように、大晦日と元日は快晴。雪のひとかけらも落ちてこない。
帰青する度に「雨女」とか「雪女(?)」などと言われていたのに、今回は東京から暖気を運んできてくれたようだ。
皆さん、明けまして おめでとう ございます。本年も気紛れに、いろいろと彷徨いながら書き綴ってまいりたいと思っております。
天皇陛下は年頭にあたり、震災復興に向け英知が結集されますよう、作業に携わる人の安全が確保されるよう、とコメントされました。
野田政権は、内需拡大=国内消費アップに英知を絞って欲しい。そうすれば、TPP問題も税収増大も財政健全化もクリアできますヨ!。
本年もヨロシク!
仙台市といえば、伊達政宗が目指した「杜の都」であり、土井晩翠は青葉城を見て育ち近代日本音楽の代表曲「荒城の月」を作詞した。東京にも近いことから「東北の玄関口」との呼称が最もピッタリする都市である。まさに、東北の中心に相応しい大都市である。
しかし、今年は「東北の中心地」はここだ!と再確認した街があった。岩手県中尊寺である。
今年を表す漢字一文字に「絆」が選ばれましたが、村長は「金(きん)」もアリかな?と思っておりました。清衡が、みやこびとから「蝦夷(えみし)」とか「奥の夷(をくのえびす)」と蔑まされ攻撃されていた東北に平和をもたらし繁栄させ、お上をも嫉妬させた黄金郷。「みちのく道(現在の東北自動車道)の中心」平泉町にある中尊寺が、今年「世界文化遺産」に登録されました。「金」の都です。
そして勿論、なでしこジャパンがW杯を制した際の歓喜の輪を彩った「金の紙ふぶき」は、いまでも強烈に蘇ってきます。
MSN産経によると、若者のテレビ離れが拡大しているという。なんでも、同じような顔ぶれのお笑い芸人が同じようなバカ騒ぎを繰り返している、そうである。まあ、そこまで言うか!との思いもあるが、かつてのクレージーキャッツやドリフターズ、コント55号などの存在感を示す芸人がいないというのは感じている。
さて、あのいやな司会者が去ったので民放のお笑い番組も、前よりは見る機会は増えていると思うが、パッとしたタレントはいないようだ。
実は、一年ほど前入ったラーメン店で近くの受像機から流れていたメロディー?が気になっていたのが、先日やっと判明した。
♪ どんぶらこっこ どんぶらこっこ ・・・ ♪
と昔話「桃太郎」を可笑しくアレンジしたコントなのだが、コンビ名は「2700」、お題は「リズム劇桃太郎」という。本家「桃太郎」は桃から生まれた桃太郎がサル、犬、キジをお供に鬼退治するのだが、コント「桃太郎」に桃太郎は登場しない。「桃」が鬼退治に行くのだ。川を流れる桃を「どんぶらこっこ~」と面白おかしくリズムよく表現する様が、村長のツボにはまってしまったのである。
また、最近耳に残っているメロディーがあった。NHKTVでやっていたミュージックジャパンで、なんとかいう女性のグループが歌っていたなんとかという曲のリズムが、日本のお祭りの音頭に似ていたのだ。その耳に残っていた一節を次女に訊くと(こういうのは次女が詳しい、2700も次女から教えてもらった)、韓国の「少女時代」というグループが歌う「バッドガール/Bad Girl 」なのだそうだ。
以前クローズアップ現代でも取り上げていたグループなのだが、その時は韓国版AKB48くらいにしか思っていなかったのだが、この曲に関してはなかなかのパフォーマンスとみた。なにしろリズム(テンポ)がいい。それに二部の掛け声と二部のメロディーが重なり、2オクターブに及ぶメロディーを全員でカバーしている。地声で2オクターブはプロなら当たり前だが、ジャリタレだと思っていたので「おお!」となってしまうのだ。
それにしても、年末の民放の特番はMSN産経ではないが、見る気が起きない番組のオンパレードである。
それは村長が10歳を迎えた直後の12月24日の夜のこと。スペイン語を習っていた母に連れられて参加したクリスマス会。キャンドルの灯を点し、参加者全員で「聖しこの夜」を歌ったのです。
♪ ノーチェ デ パス ・・・ ♪
母が言語の上に書いてくれたカタカナを必死で追いながら歌ったのを覚えています。多分これが二度目の外国語で歌った外国語曲だったと思います。
数日後に三曲目の外国語の曲を覚えることとなろうとは、この時予想だにしませんでした。青森に住む叔父さんが諏訪に遊びにきたのです。叔父さんは、あのミスター長嶋茂雄氏と同期の立教大学生。そう 「セントポール ウィル シャイン トゥナイ セントポール ウィルシャイン ・・・ 」でした。
そして栄えある(?)初めての外国語曲は?なんと、村長の母方の親戚なら皆知っているニューギニアの現地民の歌なのです。
♪ オンバ プテプテ オンバ ダッタダリラ
キッパ スレッソ プテプテ
ヤンマ アンモリ スンダジャ ウラササー
ヤンサ ヤバタネ ♪
母方の祖父が大東亜戦争で赴任したニューギニアは、「渾(こん)作戦」などでも知られる過酷な南方戦線でした。サルミという地区だと思いますが、陸軍第36師団通称「雪兵団」の祖父の部隊は、怪我人やマラリヤなどの病人を休ませるためにその部落に長期滞在しました。現地民に言語を教えたり農業を指導し、代わりに食料や薬の提供を受けたのです。やがて部隊が移動する日が近づいてきました。名残を惜しんだ現地民たちが歌ってくれたのがこの歌だったそうです。青森の兵隊さん、ありがとう!という意味なのだそうです。