草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
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演歌は村長にとっては苦手(あまり聞かない)のジャンルの音楽ですが、一人だけ気になっている歌手がおります。今日の芸能ニュースで、「涙の再出発!」と騒がれている美川憲一君です。同じ長野県出身、というより近所に住んでいたこともありますが、同期生で諏訪中学校では隣の隣のクラスでした。おっと、歳がばれちゃいましたね。
中学時代の百瀬君は知らないのですが、高校の時に上京したらしいですね。勿論、彼が諏訪市出身と言うことを知ったのはずーっと後のことですが(当然売れてからです)、ヒット曲を出す度に陰ながら応援はしておりました。
元マネージャーの現事務所社長とも和解し、新曲と共に再出発するようです。頑張って下さい。CDは買いませんが、応援してますよ!って、それじゃダメじゃん?PR
昨夜のプロ野球、中日-巨人戦について。
東北シリーズで三連敗はダメだろう、と思いつつTV観戦するも、エース内海が打たれ3-1に。ところが4回、阿部の安打を口火に高橋、村田も続き一死満塁という絶好機。打席には7番古城。彼も粘った末に渋く三遊間を破る。
3-2、一点差だ。しかし、解説の篠塚氏は言う、「4連打で一点とは・・・」。ははは、阿部、高橋、村田が走者では単打で二点は期待できない(泣)。ここで8番藤村が初球の甘~い直球を振りぬくと右中間を深々と破る走者一掃の三塁打。3-5と一気に逆転した。
結局、その後も阿部の2ラン、藤村の二塁打などで加点し3-9と快勝したのだが、今日の記事のカテゴリーが「野球」ではない理由は、ヒーローインタビューのアナウンサーの酷さにあった。久々のお立ち台は、文句なく藤村だ。逆転の三点三塁打と一打点をあげた二塁打の、プロ初となる一試合四打点の活躍だったからだ。
ところが、現地福島局のアナだろうか、質問が酷過ぎた。逆転の三塁打を、「見事な逆転の二塁打でしたね」。さらには、自身初となる一試合四打点を、「一試合五打点の活躍でしたね」。
インタビュー後、放送担当のアナが「一試合四打点です」とクールにフォローしてたのには思わず笑っちゃいました。
マジックも24となり、連敗をスカッとストップしたのはいいが気がかりなことも。好調だった打線の中で一人「蚊帳の外」だったのが坂本。特に悪い点は見当たらないので、また得意の固めうちで打率も上がってくるとは思いますが、いつもはポーンと外野フライをあげるのに好機で犠牲フライが打てない。まあ、中日の投手の攻めが良かった、と前向きに捉えて次に進んで下さい。三連戦が秋田、岩手、福島ということで、八戸で野球をしていた坂本が「いいところを見せようと」力んだのでしょうか?
外交もデタラメな野田政権だが、ゲンダイネットに驚くべき記事が載った。東日本大震災の復興予算15兆円のうち6兆円が執行されておらず、そのうち1兆円が特別会計に繰り入れられて天下り法人にバラまかれていたという。
「はい!いかさま事業仕分けで見直しや削減という仕打ちにあったシロアリ様の運営費に充てるのです。キリッ」byNODA
そういえば野田さん、「近いうちに解散」とか言ってましたが、輿石幹事長は20日「近いうちの解散は無理」だとさ。谷垣さん、民主党に限っては、信じるものは救われない、ですよ。
でも、時期的に「消費税の税率アップ」も無理、ということで宜しいですね。なにしろ、税率アップは景気回復、デフレ脱却が前提ですから。
試合後の応援席への「お礼」を終え、ベンチに引き揚げる桐光学院松井投手は溢れる涙を堪えることができなかった。インタビュールームに向かう間、インタビューを受けている間もそれは続いた。
もっと見たい投手だった。あと二試合を投げていたら、おそらく斉藤祐樹投手や不滅の記録と言われた板東英二投手の奪三振記録83を超えていたと想像する(6試合での)。あの怪物江川投手の4試合で60個を軽く超え、4試合で68個、一試合での記録21個を半世紀ぶりに塗り替えた22奪三振(対今治西)は見事だった。
今日の青森光星学院戦でも、毎回の15個の三振を奪った。青森が4強に進出したのは嬉しいが、松井投手が姿を消すのは大変残念でもある。
試合は、前の神村学園戦で初球をレフトポール際に本塁打した光星一番打者の天久(あめく)選手が、今日も4球目を同じような軌跡でレフトポールに運ぶ。もう少しでフェンスオーバーだったが、いきなりのチャンスに「今日もいけるぞ!」と感じたのは村長だけではないでしょう。
しかし、二年生の松井投手は慌てることなく、光星の誇る強打線の2、3、4番を連続三振で退ける。以降7回終了まで、光星学院金沢桐光学院松井の行き詰る投手戦が続く。均衡を破ったのは、やはり光星の主軸、3番田村4番北條だった。結果は3-0だが、内容的には五分五分の好試合といえよう。
これでベスト4。東北初の優勝旗に期待が高まっている青森です。
朝早く三内の霊園に行ってきた。ここには母方の親戚の墓があり、数年前までは毎年墓参に行った場所です。数年前までは、お墓の周囲は緑の垣根で覆われており、前面には白いペンキで塗られた門扉があったので遠くからでも直ぐに「あっ!あそこだ」と判った。今日、数年ぶりに訪れてみて「先祖の墓」を探すのに苦労した。
今日霊園に行ったのは、多分昭和20年7月28日に亡くなった村長の亡母の妹、H子ちゃんをお参りするためだ。彼女は12歳、亡母が20歳のときだと聞く。あの青森大空襲の犠牲者の一人である。
実は、このH子ちゃんに関してエピソードがある。
村長夫婦の新婚旅行は青森だった。遠く離れた信州までは来れなかった遠い親戚や、高齢のために出席を断念した祖父母に新婦をお披露目する目的もあってのことだが、村長の妻が初対面の親戚に何故か大人気なのだ。行く先々で「H子ちゃん、よく来たのー」という言葉が聞かれた。
そう!S20年に亡くなった叔母と妻は同姓同名だったのです。