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雑草の詩

草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です

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ゴニンカンはやらない

 津軽地方には江戸時代に全国に出された禁止令を逃れたトランプゲームがある。「ゴニンカン」と言い、元はポルトガルだそうだが、「ナポレオン」に似た絵取り競技だと思えばよいだろう。文字通り五人が参加し、二人(親)と三人(子)が絵札の枚数を競う。ゴニンカンの「カン」は関係の「関」である。
 青森に越してきてこのゲームを知り仲間に入ろうと思ったことはあるのだが、未だかつて遊んだことはない。その理由とは。
 熱く成り過ぎる、のだ。一種の賭博だから負けてくると味方同士で罵り合ったり、作戦上許されるスパイ行為に本気で怒ったり、と「場の空気」が殺気を帯びてくるのだ。とても素人がゲーム感覚で「かててくれ」とは言えない真剣勝負なのだ。
 そういえば東京で下宿生活を始めたころ、「若宮荘」の住人の間でも「ナポレオン」が流行った時期があった。こちらは賭博性はないものの必ず誰かが熱くなり過ぎてお開きになったものだ。
 「ナポレオン」(親)になるには、手札を見て絵札20枚のうち副官(相棒)と合わせて何枚を獲れるか宣言し、最高枚数を宣言した場合になれるのだが、意地っ張りが競り合うと「パーフェクト(20枚全部)」になるまで双方ともに譲らないのだ。勿論、いい手の時はパーフェクトは有り得るのだが、副官頼りで20枚を宣言してしまうことも。
 このナポレオンにも亜流があるみたいで、切り札に決まったスートのジャックをオールマイティ(スペードのA)の次に強いカードにしたり、片目のジャック(二枚ある)を強いカードにしたり、などなど。だから、自分(親、ナポレオン)がオールマイティを持っているときは、切り札のジャックを持つ人を副官に指名することが多い。この副官が最後まで分からないことがあり、敵(3人)の仲間の振りをすることをスパイと呼んでいた。
 
 今年の「ゴニンカン世界大会」は20日、五所川原市で開催される。駆け引きに秀でたゴニンカントランプ協会認定の有段者が大勢集まることだろう。

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体罰、中学校の担任

 大阪の市立桜宮高校の体育教師による体罰が問題になっている。同じ大阪出身で元巨人軍のエースだった桑田真澄氏がNHKのインタビューに応え、時代遅れの体罰教師は反省し勉強しろ、と糾弾している。自身の小中学校時代の体罰と高校時代の無体罰の野球生活を振り返り、高校時代に一番成長した、と述べている。

 村長の中学校時代、野球部の教師から体罰なるものを受けた。今でも「校庭での正座」は鮮明に覚えている。ははは、芝生や砂場の校庭なら大したことは無いだろう。村長の中学校のグラウンドは小さな砂利だらけ。毎年春新入部員の日課は、グラウンドの石拾いなのだ。わずか一時間ほどの罰なのだが、救える点が二つ。
 この北風先生はチームワークを重んじる方針から、罰を部員全員に課すのが常だった。一人の部員の怠慢は全員のミス。二人の無駄な会話も全員で罰を受けた。そしてもう一つは罰を与える場所。他の生徒からは見えにくいように校庭の片隅で行うのだった。しかしその配慮も正座する側からすれば、むしろグラウンドの中央の方が石の大きさも小さくて両膝へのダメージは少なかったのだが・・・
 一方、村長の担任「太陽先生」。中学三年間この先生が担任でしたが一度も体罰なるものを受けたことは無いし、体罰をふるうのを目撃したことも無かった。見た目は、あの北風先生よりも強持て恰幅がいいのだが、その真ん丸な顔と優しい目は、まさに太陽。
 太陽先生は、とある観音院の住職でもあった。彼を人生の師と仰ぐ教え子は数多い。と思う。
 

帰るのがイヤ!

 もう時効と思うので書いちゃいますが、二十数年前S君という社員がやらかした事件?です。社員と言ってもグループ会社の同僚ではありますが、一応別会社の社員でした。当時、建設資材のグループ会社の村長は親会社の工場長、S君は子会社の配送員でした。
 真冬の十和田湖の現場で村長たちは泊り込みで仕事に就いておりました。そんなある日、S君が追加の資材を運んで来ました。そうです、村長はサッシの取り付けをしていたのです。正式には「金属バルコニーの取り付け技能士」という免許を持っていたのです。ところが午後4時ころ十和田湖に着いたS君は資材を降ろしたのに、一向に帰ろうとしないのです。
 ここで、冬の青森と十和田湖の道路事情が関係してくるのです。雪の無い時期には青森市内~十和田湖は1.5時間もあれば余裕で着けますが、冬場はその倍をみておかないといけません。通行不能になるからです。よく「雪の回廊」などの写真を見たことがあると思いますが、田代経由、八甲田経由の道路は積雪4mを超える雪で、とても通行できる状態ではありません。
 そして、冬の青森は「日が暮れる」のも早いのです。
 S君は「一緒に泊まって、明日の朝帰る」というのです。直接の上司ではないのでS君の上司に電話して「車が故障したため」と、何とか了解をとりつけたのですが、S君が帰りたくない理由を正直に伝えていたらぶん殴られていたことでしょう。
 その理由とは、なんとなんと「暗くなるので、幽霊が怖い」

大間の海は宝の山

 今年の築地市場初競りで驚きの史上最高値がついた。大間産クロマグロに、なんと1億5,540円という異常ともいえる破格値だ。釣り上げたのは大間漁協の竹内大輔さん。

 遡ること12年。大輔さんの父、さんは2001年の最高値2,020万円のクロマグロを釣り上げた。薫さんから船を受け継いだ大輔船長は「親父超え」を胸にイカ漁などで夏場を凌いだ。しかし、2012年のマグロ漁は不漁だった。
 それでも徐々に268キロ、291キロと大物が釣れるようになり、迎えた2012年12月29日の早朝、大間沖で222キロの初競り用のポンと腹の出た良い形の大物を捕まえた。昨年のチャンピオンの5,649万円を三倍も上回る価格に薫さんも驚きを隠せなかった。
 薫さんは辛くて危険な漁師の道を大輔さんには継がせる気は無かったと言う。それでも跡を継いだ以上、「やるだけやれば、何とかなる」とアドバイスを送っていた。父の持っていたチャンピオンベルトを取り返し、もうこれ以上の値段は出ないだろう、と言われる価格を出した大輔さんにさんが言った。
 「大間の海が宝の山であることを証明してくれた」

テネシーワルツ

 元旦そうそう悲報が飛び込んで来ました。究極の口パク、史上初の一人四重唱、偶然からアメリカンドリームを実現した歌手、パティ・ペイジさんが亡くなった。「テネシーワルツ」は空前の大ヒット。当時の多重録音技術、機器を考えると、MRの音質もかなり良く、素人っぽいが素直で澄んだ声も相まって人気を博しました。
 この「テネシーワルツ」はカントリー歌手の定番にもなりました。日本では元祖三人娘の一人、江利チエミさんがカバーして大ヒットとなっております。
 それにしても、昨年のD.サマー、A.ウィリアムス、D.ブルーベックなど、一時代を築いたアーチストが高齢となり次々天に召されるのは仕方の無いことなのでしょう。という村長も、その年頃に近づいているのですが・・・
 心からご冥福をお祈りいたします。

PS.「究極の口パク」と言ったのは、P.ペイジさんがライブで「テネシーワルツ」を歌う場合、他の三声は絶対に口パクである、という意味です。そう!!限定的にですが、村長は口パク肯定派なのです。

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