雑草の詩
草野球とアメリカン・フォークが好きな「村長」です
[
137
] [
136
] [
135
] [
134
] [
133
] [132] [
131
] [
130
] [
129
] [
128
] [
127
]
[PR]
Category []
2024/11/22 20:59
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
11年ぶりの猛暑
Category [日記]
Trackback []
Comment [2]
2010/08/06 14:04
全国的に暑い日が続いてますが、ここ
青森の今
の寒暖計は
36℃
を指している。なんでも
11年ぶりの猛暑
だそうだ。三年ぶりに稼働している
エアコン
に感謝の毎日である。
父の葬儀(
家庭内葬
)のために帰青した
次女
は、
東京の方が涼しい
、だとさ。今日の気象情報でも
東京は32℃
、
青森は36℃
という
最高気温予想
である。
亡父の話
を一つ。
父は大学生の時
海軍
に入隊し(強制連行?)、中国で終戦を迎えた。多くの軍人同様
極度の食糧難
から
胃腸
をこわし、帰還後
40代で十二指腸
をわずらい、以降
直腸
、
小腸
、
大腸
と腫瘍(ガン)は広がってしまった。最初の手術は生存確率20%と言われ、
生後一週間の長女
を連れて毎日
病床の父
を励ましたものだ。
そのとき執刀した日赤の
担当医師
は、
戦傷病者の認定を受けろ
、と進言してくれた。しかし、父はそれを固辞した。
国のために戦ったんだ
、という一種の誇りからか、あるいは
命を落とさずに帰れただけでも幸せだった
、と思ったのかは、もう知る由も無いが。
さて、父に
ごめんなさい
を一つ。村長が
5,6歳の頃
、父の机の引き出しの中にピカピカに飾った懐刀のような長さ30cm位の
模擬刀
を発見。いとこや叔父さんと
チャンバラごっこ
をして、汚してしまった。元々
刃
はついてない刀身は一部メッキが剥げて、
サビで茶色
になってしまった。それを机の引き出しに戻して
知らない顔
をしていた。
結局、この件で
父に叱られた覚えはない
。そして誰に対しても、
一度も手を挙げたことは無い父
だった。
PR
下士官あがり
お夕方にございます。諸事一段落のご様子かと拝察いたしました。
> 父は大学生の時海軍に入隊し(強制連行?)、中国で終戦を迎えた
不肖の父は、南方戦線(インドシナ方面)に長く出征した大日本帝国陸軍元下士官でありました。太平洋戦争後半には補給路が断たれ孤立し、生還したことが希少?といった部隊にあったようです。
従って、大日本帝国陸軍の精神及び絶対的服従の典型、即ち絶対的軍国主義、皇国日本、”同志よ靖国で相まみえん”的精神主義の持ち主でありましたから、子供の頃から、戦争体験は耳にタコができるくらい聞かされました(汗)。
勿論、社会主義、共産主義は、家ではタブーでした。実際、亡父は敵視しており、不肖が高校時代、ひょんなことからいわゆる安保闘争等の記録本(顛末を記録したもので思想・イデオロギーを説く類でないもの)を持っていたことが端緒となって、大ゲンカになったことがあります(汗)。
特にテレビや雑誌などにおいて、日本のWW2の批判や否定をすることは、一切まかりならんモノであったのです。若い不肖は、戦争の実体を知らずに、まぁ生意気に戦争責任を語るなどして、亡父とはしばしば対立・衝突したものです。
しかし亡父の人生は太平洋戦争そのものであって、決して太平洋戦争抜きに語ることはできず、また太平洋戦争を否定することは、亡父自身を否定することであり、報国日本・皇国大日本帝国の否定でもあり、到底受け入れ難いことであったことが何となく理解できるようになったのは、不肖が子供を持ってからです。
戦争を美化・肯定するつもりはありませんが、飢えと生死・殺るか殺られるかの日常、そして同志や部下の壮絶な死という、言わば修羅場をくぐりぬけて生還した者に、言葉だけでは表現しきれないものがあったのだろう・・・という理解に至っております。
【2010/08/06 17:36】 NAME[時評親爺] WEBLINK[
URL
] EDIT[
]
無題
時評親爺様、コメントありがとうございます。
私も家庭を持ち子供ができてから親を理解できた、と感じております。反抗期の終わり(笑)
夫婦二人の生活になってしまいますが、毎日の日常にある幸せを追求して生きてゆこうと思っております。
【2010/08/07 14:16】 NAME[村長] WEBLINK[] EDIT[
]
お名前:
タイトル:
文字色:
Black
LimeGreen
SeaGreen
Teal
FireBrick
Tomato
IndianRed
BurlyWood
SlateGray
DarkSlateBlue
LightPink
DeepPink
DarkOrange
Gold
DimGray
Silver
メールアドレス:
URL:
コメント:
パスワード:
この記事にトラックバックする:
<<
プロ野球解説の赤星がいい
HOME
暫くお休みします
>>
カレンダー
10
2024/11
12
S
M
T
W
T
F
S
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
リンク
管理画面
新しい記事を書く
ば○こう○ちの納得いかないコーナー
カテゴリー
未選択 ( 7 )
日記 ( 464 )
野球 ( 221 )
音楽 ( 23 )
信州 ( 1 )
政治 ( 145 )
スポーツ ( 83 )
映画 ( 5 )
歴史 ( 1 )
フリーエリア
最新CM
謹賀新年
[01/02 giants-55]
無題
[06/22 村長]
野球を見られる幸せ
[06/22 giants-55]
泣けた・・・
[04/05 giants-55]
曲のタイトル
[11/22 岩崎 英明]
最新記事
二位じゃイヤ!
(01/10)
雪に完敗!
(01/01)
C国が民主主義?
(12/14)
嬉し涙の中村捕手
(11/28)
CO2を出すな!?
(11/19)
最新TB
プロフィール
HN:
村長
性別:
非公開
バーコード
RSS
RSS 0.91
RSS 1.0
RSS 2.0
ブログ内検索
アーカイブ
2022 年 01 月 ( 2 )
2021 年 12 月 ( 1 )
2021 年 11 月 ( 4 )
2021 年 10 月 ( 2 )
2021 年 09 月 ( 2 )
最古記事
引っ越しました
(11/07)
祝 巨人 V奪回
(11/07)
アジア競技大会にマージャン?
(11/10)
紅白歌合戦の思い出、森繁久弥さん
(11/11)
多分方言?「があと」
(11/13)
P R
> 父は大学生の時海軍に入隊し(強制連行?)、中国で終戦を迎えた
不肖の父は、南方戦線(インドシナ方面)に長く出征した大日本帝国陸軍元下士官でありました。太平洋戦争後半には補給路が断たれ孤立し、生還したことが希少?といった部隊にあったようです。
従って、大日本帝国陸軍の精神及び絶対的服従の典型、即ち絶対的軍国主義、皇国日本、”同志よ靖国で相まみえん”的精神主義の持ち主でありましたから、子供の頃から、戦争体験は耳にタコができるくらい聞かされました(汗)。
勿論、社会主義、共産主義は、家ではタブーでした。実際、亡父は敵視しており、不肖が高校時代、ひょんなことからいわゆる安保闘争等の記録本(顛末を記録したもので思想・イデオロギーを説く類でないもの)を持っていたことが端緒となって、大ゲンカになったことがあります(汗)。
特にテレビや雑誌などにおいて、日本のWW2の批判や否定をすることは、一切まかりならんモノであったのです。若い不肖は、戦争の実体を知らずに、まぁ生意気に戦争責任を語るなどして、亡父とはしばしば対立・衝突したものです。
しかし亡父の人生は太平洋戦争そのものであって、決して太平洋戦争抜きに語ることはできず、また太平洋戦争を否定することは、亡父自身を否定することであり、報国日本・皇国大日本帝国の否定でもあり、到底受け入れ難いことであったことが何となく理解できるようになったのは、不肖が子供を持ってからです。
戦争を美化・肯定するつもりはありませんが、飢えと生死・殺るか殺られるかの日常、そして同志や部下の壮絶な死という、言わば修羅場をくぐりぬけて生還した者に、言葉だけでは表現しきれないものがあったのだろう・・・という理解に至っております。